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工藤元司郎

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工藤 元司郎(くどう げんしろう、1944年1月1日 - )は、東京都港区出身の元競輪選手競輪評論家。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第16期生。登録番号7098。現役時代は、晩年は日本競輪選手会茨城支部所属(デビュー時は全国競輪選手会東京支部所属)。

実父の工藤勝美も元競輪選手。義子の髙木和仁(76期。わこの姉の夫)は競輪選手、和仁の娘であり孫の髙木萌那(126期)は女子競輪選手SPEEDチャンネルキャスターである工藤わこの実父。寺内大吉は芝高校時代の恩師。

経歴

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進学校として知られる芝中学校・高等学校を卒業しながらも、家庭の事情により大学進学を諦め、競輪選手となる[1]。競輪学校同期に群馬の稲村雅士がいる。

デビュー当初は東京登録であり、後楽園競輪場をホームバンクとした。初出走は1962年7月29日平塚競輪場

1970年の第23回日本選手権競輪一宮競輪場)において、逃げる高原永伍の番手から直線で差して優勝。特別競輪の優勝はこれのみであったが、高原永伍のグランドスラム(特別全冠制覇)を阻止する形になったことから競輪史に残る一勝となった[2]

その後も名マーカーとして特別競輪(GI)などで活躍を見せたが、後楽園競輪場が休止された後は茨城へ移籍し、取手競輪場に拠点を移した。上記の同期である稲村雅士の他、岩手の阿部良二とも親しく、阿部は工藤のことをいつもアニキといって慕っていた[1]

1996年3月28日、選手登録消除。現役時代は通算573勝。

現在は評論家としてテレビ解説、新聞のコラム、執筆活動等で活躍中である。特に特別競輪における地上波の中継ではわことの親子共演も多い。

主な獲得タイトルと記録

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脚注

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  1. ^ a b SPEEDチャンネルで放送されていた、「名選手、名勝負列伝」より。
  2. ^ 当時競輪評論家だった鈴木保巳は、月刊競輪誌上で度々、競輪の歴史を変えた勝利だったと述べている。

外部リンク

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関連項目

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