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村上真一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 村上 真一 八段
1939年ごろ。左後ろは高島一岐代
名前 村上 真一
生年月日 (1897-06-16) 1897年6月16日
没年月日 (1956-07-02) 1956年7月2日(59歳没)
プロ入り年月日 1923年[注 1]
出身地 広島県呉市[注 2]
所属 棋正会
日本将棋連盟(関西)
→将棋大成会(関西)
→日本将棋連盟(関西)
師匠 木見金治郎九段
弟子 南口繁一木下晃
段位 八段
順位戦最高クラス A級(2期)
2022年2月21日現在
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村上 真一(むらかみ しんいち、1897年6月16日 - 1956年7月2日)は、将棋棋士。八段。木見金治郎九段門下。広島県呉市[注 2]出身。

経歴・人物

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1923年、四段昇段。若手時代、関根金次郎十三世名人と対局する機会を得るも敗れた。

1942年、名人挑戦者を賭けた五〜七段戦を勝ち抜き、名人戦予選に参加。

戦後も1946年順位戦A級に参加するが、翌年は全敗で降級。当時は現在と比べると引退時期が総じて早かったものの長く現役であり続け、1952年以降は現役最高齢棋士となった。

1955年6月30日、第2回早指し王位決定戦2回戦において当時15歳(村上より43歳年下)の新鋭加藤一二三と対局し敗れた。加藤が公式戦で対局した最年長の棋士。なお加藤は当時南口繁一門下(1998年に劔持松二門下に変更)で、南口は村上門下であったため、“孫弟子からの恩返し”を受ける形となった。

1956年、順位戦B級2組在籍のまま逝去。

弟子は上述の南口の他に、木下晃もいる。

昇段履歴

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  • 1922年 入門
  • 1923年 四段
  • 1943年 八段
  • 1956年7月2日 逝去

主な成績

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  • 順位戦A級 通算2期

脚注

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注釈

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  1. ^ ここでは便宜上、四段昇段日をプロ入り日として扱うが、村上のプロ入り当時は初段昇段時から専門棋士として扱われていたとされる。昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった[1]。その頃、奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立されていった[2]
  2. ^ a b ただし、呉市の成立は1902年であり、村上が生まれた時点では未成立。

出典

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  1. ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36
  2. ^ 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220

関連項目

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