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松平頼慎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 頼慎
時代 江戸時代後期
生誕 明和7年6月28日1770年7月20日
死没 文政13年7月13日1830年8月30日
官位 従四位下大学頭侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
陸奥守山藩
氏族 水戸徳川家支流守山松平家
父母 父:松平頼亮、母:川上氏
兄弟 頼孝頼慎武田信典新田貞靖知久頼衍、伴、都
正室:雅姫
側室:林氏
高、久米、頼誠頼賢勝姫、英、綿、頼永
養子:中山信情正室
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松平 頼慎(まつだいら よりよし)は、江戸時代後期の大名陸奥国守山藩の第4代藩主。水戸支流頼元系松平家5代。官位従四位下大学頭侍従

略歴

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守山藩の第4代藩主・松平頼亮の次男として誕生。母は側室川上氏。

享和元年(1801年)、父の死により家督を相続した。菅笠・藍・紅花・養蚕などの殖産興業に努め、菅笠会所を設けたり、菅笠・藍玉の前金を無利息・10年賦で返済させる制度を定めたりもした[1]天保元年(1830年)死去し、長男・頼誠が跡を継いだ。

著書として『府臣略伝』『守山日記後編』がある。

系譜

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脚注

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  1. ^ 工藤寛正 編『徳川・松平一族の事典』東京堂出版、2009年
  2. ^ 徳川宗翰の八男
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