コンテンツにスキップ

栗原浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栗原 浩
くりはら ひろし
生年月日 1900年1月16日
出生地 日本の旗埼玉県北埼玉郡原道村
(現:埼玉県加須市
没年月日 (1978-08-24) 1978年8月24日(78歳没)
出身校 早稲田大学高等師範部中退
所属政党 自由民主党
称号 勲一等瑞宝章

埼玉県の旗 第45代 - 第48代(公選制第4代 - 第7代)埼玉県知事
当選回数 4回
在任期間 1956年7月13日 - 1972年7月12日
テンプレートを表示

栗原 浩(くりはら ひろし、1900年明治33年)1月16日 - 1978年昭和53年)8月24日)は日本政治家埼玉県知事などを歴任した。

略歴

[編集]

埼玉県北埼玉郡原道村(現:加須市)出身[1]。私立埼玉中学校(現:埼玉県立不動岡高等学校)を卒業。早稲田大学高等師範部(現:早稲田大学教育学部)を途中退学。

この間、知事室長、出納長、副知事等を歴任。
  • 1956年(昭和31年) - 埼玉県知事選挙に自由民主党公認で出馬。日本社会党の出井治人を下し初当選。埼玉県知事に就任する。
  • 1960年(昭和35年) - 埼玉県知事選挙で再選。
  • 1964年(昭和39年) - 埼玉県知事選挙で3選。
  • 1968年(昭和43年) - 埼玉県知事選挙で4選。
  • 1972年(昭和47年) - 埼玉県知事選挙に出馬せず、退任。
  • 1978年(昭和53年) - 死去。78歳没。

知事引退後、埼玉医科大学理事長、校外教育協会会長、社会福祉協議会会長、共同募金会会長を歴任。県知事の職に4期16年間あり、長期政権であった。県知事であった時期と高度経済成長期が重なったこともあり、任期中には住宅・工業団地や鉄道・道路の整備に努めたほか、1963年には「総合開発計画」を決定した[2]。また、1972年に勲一等瑞宝章を授与された。

脚注

[編集]
  1. ^ 市報かぞ 平成22年12月15日号 (PDF) p.28(裏表紙) - 加須市役所ホームページ
  2. ^ 「新編 埼玉県史 通史編7」p767-773、「埼玉の100人(政治編)」埼玉グラフ。

参考資料

[編集]
公職
先代
大沢雄一
埼玉県の旗 埼玉県知事
公選第4 - 7代:1956年 - 1972年
次代
畑和
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy