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歌の贈りもの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「歌の贈りもの」
バリー・マニロウシングル
初出アルバム『歌の贈りもの
B面 ナイス・ボーイ ("A Nice Boy Like Me")[1]
リリース
規格 7" (45 rpm)
録音 1975年
ジャンル ポップ
時間
レーベル アリスタ・レコード 0157
作詞・作曲 ブルース・ジョンストン
プロデュース ロン・ダンテ英語版
バリー・マニロウ
ゴールドディスク
ゴールド (RIAA)
バリー・マニロウ シングル 年表
恋はマジック
"Could It Be Magic"
(1975)
歌の贈りもの
"I Write the Songs"
(1975)
うつろな想い
"Tryin' to Get the Feeling Again"
(1976)
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歌の贈りもの」(うたのおくりもの、I Write the Songs)は、ブルース・ジョンストンが作詞作曲した楽曲。バリー・マニロウのバージョンで知られる。

概要

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バリー・マニロウのバージョンは、1976年1月に Billboard Hot 100 チャートの首位に立ったが[2]、『ビルボード』誌のアダルト・コンテンポラリー・チャート英語版では、それに先んじて1975年12月から2週連続の首位となっていた[3]1977年第19回グラミー賞英語版では、グラミー賞 最優秀楽曲賞を受賞し、最優秀レコード賞にもノミネートされた[3]1976年の『ビルボード』の年間チャートでは、第13位であった[4]

オリジナルのバージョンを吹き込んだのは、ジョンストンがザ・ビーチ・ボーイズの一員として1970年代はじめに一緒に仕事をした、キャプテン&テニールであった。この録音は、1975年のアルバム『愛ある限り (Love Will Keep Us Together)』に収録された。シングルとして最初にリリースしたのは、当時ティーンのアイドルだったデヴィッド・キャシディで、ジョンストンがプロデューサーを務めた1975年のソロ・アルバム『青春のポートレート (The Higher They Climb)』からのシングルであった。キャシディのバージョンは、同年8月に全英シングルチャートで第11位まで上昇した[5]

ジョンストンによると、彼自身の考えでは歌詞の中の「I(わたし)」は神であって[2]、誰の中にもある創造性の精神から歌は生まれるのだという。ジョンストンはまた、この歌は、ザ・ビーチ・ボーイズの仲間であるブライアン・ウィルソンに言及したものではないとも述べている[6]

バリー・マニロウが後に自伝『Sweet Life』で述べているところによると、当初、彼はこの曲の録音に乗り気ではなかったという。「この歌はやっかいで、聴き手が歌詞をちゃんと耳を傾けてくれていないと、歌い手が、自分自身について歌っているように思い込みかねなかった。これではとてつもない独善的なひとりよがりと誤解されかねない。[3]」当時、アリスタ・レコードの社長だったクライヴ・デイヴィスの説得を受け、マニロウはこの曲を吹き込み、アルバム『歌の贈りもの (Tryin' to Get the Feeling)』からの最初のシングルとした。この曲は、1975年11月15日付で Billboard Hot 100 に初登場し、その9週間後の1976年1月17日にチャートの首位に立った。

チャート

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「歌の贈りもの」
デヴィッド・キャシディシングル
初出アルバム『青春のポートレート
リリース
規格 7" (45 rpm)
録音 1975年
ジャンル ポップ
時間
レーベル RCAレコード
プロデュース ブルース・ジョンストン
デヴィッド・キャシディ シングル 年表
デイドリーマー
"Daydreamer"
(1973)
歌の贈りもの
"I Write the Songs"
(1975)
ダーリン
"Darlin'"
(1975)
テンプレートを表示

カバー・バージョン

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以上の他にも、この曲は、ジョニー・マティスフランク・チャックスフィールドマントヴァーニレイ・コニフリチャード・クレイダーマントム・ジョーンズダイナ・ショアらによってカバーされ、ブルース・ジョンストン自身も1977年のアルバム『Going Public』で取り上げた。フランク・シナトラは、歌詞の一部 ("and I wrote some rock and roll so you could move") を除き、曲名を「I Sing the Songs」として、1976年以降ステージで取り上げた。1979年には、サミー・デイヴィスJr.が実演の舞台の一部としてこの曲を取り上げた。尾崎紀世彦は、1979年のアルバム『ポピュラーアルバム』にこの曲を収録した。小坂明子は、1977年のシングルで、『今だから』というタイトルでこの曲をカバーしている。

1974年ころ、カナダケベック州の歌手ルネ・シマールは、フランス語と英語の両方でこの曲を歌った。同年、フランスの歌手クロード・フランソワは、「Je Chante des Chansons」という題により、フランス語でこの曲を歌った。1976年ころ、フィリピンの歌手リコ・J・プノ英語版が、歌詞の一部をタガログ語で歌うマニラ・サウンド英語版のバージョンとしてこの曲をカバーした。2008年には、ミー・ファースト・アンド・ザ・ギミー・ギミーズが、アルバム『Have Another Ball』にこの曲のカバーを収録した。

脚注

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  1. ^ 日本では「想い出の中に (Looks Like We Made It)」をB面としたシングルも出た。(ARISTA 6RS-14)
  2. ^ a b Bronson, Fred (2003). The Billboard Book of #1 Hits, 5th Edition (Billboard Publications), page 425.
  3. ^ a b c Hyatt, Wesley (1999). The Billboard Book of #1 Adult Contemporary Hits (Billboard Publications), page 177.
  4. ^ Billboard, December 25, 1976 ("Billboard's Annual Talent in Action", Pop Singles of 1976)
  5. ^ UK Singles Chart info Chartstats.com. Retrieved 8 August 2009.
  6. ^ I Write The Songs by Barry Manilow Songfacts”. Songfacts.com (2011年9月17日). 2014年4月8日閲覧。
  7. ^ a b http://australian-charts.com/forum.asp?todo=viewthread&id=35092
  8. ^ http://nztop40.co.nz/chart/singles?chart=2677
  9. ^ http://www.oldiesloon.com
  10. ^ http://www.collectionscanada.gc.ca/rpm/
  11. ^ https://oldtimemusic.com/top-100-songs-of-1976/
  12. ^ http://www.musicoutfitters.com/topsongs/1976.htm
  13. ^ http://www.oldiesloon.com/il/wls89of76.htm

関連項目

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外部リンク

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先代
コンボイ
"Convoy"
C・W・マッコール英語版
Billboard Hot 100 首位シングル
1976年1月17日
次代
マホガニーのテーマ
"Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To)"
ダイアナ・ロス
pFad - Phonifier reborn

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