浄閑寺
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浄閑寺 | |
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所在地 | 東京都荒川区南千住2-1-12[1] |
位置 | 北緯35度43分50.7秒 東経139度47分33.6秒 / 北緯35.730750度 東経139.792667度座標: 北緯35度43分50.7秒 東経139度47分33.6秒 / 北緯35.730750度 東経139.792667度 |
山号 | 栄法山[2] |
院号 | 清光院[2] |
宗旨 | 浄土宗[2] |
本尊 | 阿弥陀如来[2] |
創建年 | 1655年(明暦元年)[1] |
開山 | 晴誉[2] |
正式名 | 栄法山清光院浄閑寺[1] |
別称 | 投込寺[1] |
公式サイト | 栄法山清光院浄閑寺 |
法人番号 | 9011505000310 |
浄閑寺(じょうかんじ)は東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院。山号は栄法山。吉原遊廓の近くにあり、遊女の投げ込み寺としても知られる。
地名の三ノ輪から「三ノ輪の浄閑寺」と称されることも多い。
歴史
[編集]1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早い。寺の公式サイトによると、同寺が投込寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込むように葬られたことによる[1]。
明治から昭和時代の川柳作家である花又花酔の句「生れては苦界 死しては浄閑寺」でも知られる[1]。
「病気などで死んだ遊女は吉原遊廓の場合、浄閑寺に『~売女』という戒名で文字通り投げ込まれた」という説もある[誰によって?]が、それを裏付ける資料は古文書には一切なく、「売女」の戒名は「心中」「枕荒らし」「起請文乱発」「足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引」など吉原の掟を破った者に限られていることが最近の[いつ?]研究で明らかになっている[誰によって?]。この場合、素裸にされた上に
史跡
[編集]- 新吉原総霊塔[1] - 関東大震災や東京大空襲で死んだ遊女も祀られている。
- 永井荷風文学碑・筆塚[1]
- 三遊亭歌笑塚[1]
- 侠客濡髪長五郎墓
- 本庄兄弟首洗い井戸並びに首塚
- 新比翼塚[1]
- 若紫墓 - 明治時代に吉原随一と言われた遊女「若紫」こと勝田信子の墓がある。
行事
[編集]- 荷風忌 - 4月30日[1]
所在地
[編集]東京都荒川区南千住2-1-12[1]
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]- 岩野真雄(1893年 - 1968年) - 浄閑寺住職。仏教専門出版社「大東出版社」を創設。1928年から『国訳一切経』の翻訳刊行を開始するが、12巻を残して死去。没後、妻の喜久代、長女の文世が遺志を継ぎ、1988年、全255巻が完結した。同社刊の『岩野喜久代随想集 永井荷風と浄閑寺・與謝野晶子と荻窪のサロン』(2011年刊)に詳しい。
- 簀巻き