渋谷清見
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渋谷 清見(しぶや きよみ、1895年9月27日 - 1985年2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
経歴
[編集]高知県出身。渋谷周・茂兎夫妻の息子として生れる。海南中学校を経て、海軍兵学校および陸軍士官学校(第29期)を受験し、双方に合格している。1917年(大正6年)11月、海軍兵学校(45期)を卒業。1918年(大正7年)8月、海軍少尉任官。海軍大学校で航海学生として学ぶ。
1923年(大正12年)12月、「澤風」航海長となり、「沖風」航海長、「第17号駆逐艦」艤装員、「大泊」「安宅」「鶴見」「迅鯨」「川内」の各航海長を歴任し、1929年(昭和4年)11月、海軍少佐に昇進。
1931年(昭和6年)12月、「由良」航海長に転じ、「青葉」「磐手」の各航海長、横須賀鎮守府付、海軍航海学校教官などを務める。1935年(昭和10年)11月、海軍中佐に進級し、同月、「陸奥」航海長に就任。以後、航海学校教官兼海大教官、「愛宕」副長を歴任。1940年(昭和15年)10月、「佐多」特務艦長に異動し、同年11月、海軍大佐に昇進。1941年(昭和16年)9月、「球磨」艦長となり太平洋戦争を迎えた。
1942年(昭和17年)11月、横須賀鎮守府付に移り、水路部第2部第3課長、航海学校教頭兼研究部長を経て、1944年(昭和19年)2月、「隼鷹」艦長となる。マリアナ沖海戦で善戦するが乗艦が損傷を受け、同年12月、「長門」艦長に転じた。1945年(昭和20年)4月、横須賀鎮守府付となり、同年5月、海軍少将に進む。同月、第3特攻戦隊司令官に発令され終戦を迎える。同年11月、予備役編入となった。
参考文献
[編集]- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第10巻、発売:第一法規出版、1995年。