コンテンツにスキップ

石川城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
logo
logo
石川城
青森県
石川城空撮
石川城空撮
別名 大仏ヶ鼻城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 曽我道性
築城年 建武元年(1334年)
主な改修者 不明
主な城主 曾我氏・石川南部氏
廃城年 慶長16年(1611年)
遺構 郭・堀・土塁
指定文化財 史跡等未指定[1][2]
埋蔵文化財
包蔵地番号
青森県No.202038(石川城跡)[3]
位置 北緯40度32分55.7秒 東経140度32分38.6秒 / 北緯40.548806度 東経140.544056度 / 40.548806; 140.544056座標: 北緯40度32分55.7秒 東経140度32分38.6秒 / 北緯40.548806度 東経140.544056度 / 40.548806; 140.544056
地図
石川城の位置(青森県内)
石川城
石川城
テンプレートを表示

石川城(いしかわじょう)は、青森県弘前市にあった日本の城。 別名大仏ヶ鼻城。周辺の館とあわせて石川十三楯(大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館)と呼ばれ、この13の城館の総称として石川城といわれた。

歴史

[編集]

津軽曽我宗家である平賀の曽我道性により建武元年(1334年)に築城されたと伝わる。曽我氏はその後南部氏に制圧され、天文2年(1533年石川高信が石川城を居城としていた。だが元亀2年(1571年)5月5日未明、大浦為信(後の津軽為信)の急襲を受けて落城、石川高信は自害した。その後石川城は津軽氏の所有となり、津軽家臣である板垣将兼が守った。慶長16年(1611年)、弘前城築城に際し、石川城は廃城となった。

現在は「大仏公園」として整備されている[4]

キャラクター

[編集]

弘前城で行われた天守曳家工事を契機として、2016年(平成28年)に弘前市が地域おこしキャラクターのロボット「超城合体タメノブーンV」を制作。タメノブーンVを構成する5機の城ロボのうち、石川城は「イシー」にあたる[5][6]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]

隧道レポート 大仏公園 謎の穴 - 石川城の地下道レポート

pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy