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緒方貞子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
緒方 貞子
おがた さだこ
生年月日 (1927-09-16) 1927年9月16日
出生地 日本の旗 日本東京府東京市麻布区
(現在の東京都港区麻布
没年月日 (2019-10-22) 2019年10月22日(92歳没)
出身校 聖心女子大学文学部卒業
ジョージタウン大学大学院修了
カリフォルニア大学バークレー校
大学院修了
称号 従三位
文化勲章
政治学博士
(カリフォルニア大学バークレー校)
文化功労者
東京都名誉都民
配偶者 緒方四十郎
親族 犬養毅(曾祖父)
芳澤謙吉(祖父)
犬養健(大叔父)
緒方竹虎(義父)

在任期間 1991年 - 2000年
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緒方 貞子(おがた さだこ、1927年昭和2年〉9月16日 - 2019年令和元年〉10月22日[1][2][3][4])は、日本国際政治学者位階従三位学位は、政治学博士カリフォルニア大学バークレー校)。旧姓:中村(なかむら)。

上智大学名誉教授独立行政法人国際協力機構理事長国連人権委員会日本政府代表、日本人初の国連難民高等弁務官アフガニスタン支援政府特別代表を歴任。また日本における模擬国連活動の創始者でもある。

経歴

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生い立ち

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1927年(昭和2年)9月16日、東京府東京市麻布区(現東京都港区)に外交官・元フィンランド特命全権公使の中村豊一・恒子夫妻の長女として生まれる。命名は曽祖父・犬養毅による。父の転勤で幼少期をアメリカサンフランシスコバークレー)、中国広東省香港などで過ごす。

小学校5年生の時に日本に戻り、聖心女子学院に転入、聖心女子大学に進むと文学部英文科(現:英語英文学科英語英文学専攻)を卒業[注 1]。その後、父や、聖心女子大学学長のブリットの勧めでジョージタウン大学およびカリフォルニア大学バークレー校の大学院で学び、政治学の博士号を取得した。大学院でアジアの政治・国際関係を専門としたロバート・スカラピーノの指導を仰ぐ。

研究活動

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国際基督教大学准教授、上智大学教授を歴任する。在籍中は上智大学国際関係研究所長や外国語学部長などを務め、また模擬国連団体として初めて組織化された「模擬国連実行委員会[注 2]」の顧問として、発足に携わった。指導学生に野林健一橋大学名誉教授、納家政嗣一橋大学名誉教授などがいる[5]

公的活動

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1968年(昭和43年)、国際基督教大学 (ICU) 講師を務めていた時に、参議院議員を務めていた市川房枝の訪問を受けて、市川から「今年(1968年)の国際連合総会日本代表団に加わって戴きたい」と要請される[注 3]。これが契機となって緒方自身は国際連合の仕事に関わるようになる[6]

国連は1975年(昭和50年)を国際婦人年とすることを宣言。日本社会党田中寿美子参議院外務委員会で「国際婦人年にちなみ、女性民間人を大使、公使に起用しては」と提言すると、宮澤喜一外務大臣は「ぜひ実現したい」と返答。曾野綾子中根千枝など10人近くの候補が挙がるが、いずれも断られ、結局緒方が口説き落とされた。これにより緒方は女性国連公使第1号となった[7]

国際連合児童基金 (UNICEF) 執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、第8代国連難民高等弁務官:1990(平成2)年-2000(平成12)年他を務める。2001年(平成13年)からアフガニスタン支援政府特別代表、2003年(平成15年)から2013年(平成25年)まで国際協力機構 (JICA) 理事長を務めた。

2002年(平成14年)、外務大臣田中真紀子更迭時にはその後任に推す声もあったが、辞退した。本人は外相就任について後に、「かなり迷った」と述懐しており、就任に前向きだった時期もあったとされる[8]。しかし同時期に夫・四十郎の健康が悪化したことが最終的な辞退に繋がった[9]

2007年11月のデイヴィッド・ロックフェラー来日時には、回顧録出版記念パーティーの発起人を務めた。

小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関として、2004年(平成16年)12月27日に設置された「皇室典範に関する有識者会議」に、メンバーの一人として参加した[10]。これは、いわゆる日本の皇位継承問題やそれに関連する制度(皇室典範)について、2005年(平成17年)1月より17回の会合を開き、同年11月24日には皇位継承について女性天皇女系天皇の容認、長子優先を柱とした報告書を提出した[11]。なお、緒方と平成皇室とは、上皇后美智子の母校が自身と同じ聖心女子大学であるという共通点がある。

2012年(平成24年)4月17日には、東京都内の外務省飯倉会館にて、当時の玄葉光一郎外務大臣野田第1次改造内閣)主催で「緒方貞子氏の我が国及び国際社会への貢献に敬意を表すレセプション」が開催され[12]、当時の野田佳彦首相も参加して挨拶した。野田首相はその中で、「昨年3月に私どもは東日本大震災東北地方太平洋沖地震)を経験しましたが、160を越える国から、40を越える国際機関から、温かい支援の申し出をいただきました。(中略)世界のために最前線に立って汗を流した日本人(=緒方貞子)がいたからこそ、このような世界から温かいご支援をいただいたものと思います。」と述べた[13]

2019年(令和元年)10月22日に死去。92歳没。死没日をもって従三位に叙される[14]。墓所は青山霊園(1イ5-17)。

人物

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キリスト教徒カトリック信者)である。

家庭・親族

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曽祖父は五・一五事件首相在職中に暗殺された犬養毅[15]、祖父は外交官で犬養内閣の外相を務めた芳澤謙吉。母・恒子は元共同通信社長の犬養康彦評論家犬養道子エッセイスト安藤和津(いずれも犬養健の子)の従姉に当たる。

夫・緒方四十郎(元日本銀行理事)は、朝日新聞社副社長や自由党総裁、吉田茂政権で副総理を務めた緒方竹虎の三男である。緒方姓は竹虎の祖父・郁蔵(本姓大戸氏、備中岡山県)出身)が緒方洪庵と義兄弟の盟を結びその姓を名乗らせたことに始まる。長男の緒方篤英語版は映画監督。

外務事務次官在アメリカ合衆国日本大使を務めた外交官の井口貞夫は義理のおじ。外務事務次官や侍従長を務めた外交官の川島裕は従弟。慶応義塾大学教授で同じく戦後に米国留学し、日本の女性国連職員の草分けである佐々波楊子(旧姓川島)も従妹。

系譜

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緒方郁蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
犬養毅
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
緒方道平
 
 
 
 
 
 
 
芳澤謙吉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
犬養健
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
緒方大象
 
緒方竹虎
 
中村豊一
 
恒子
 
 
 
 
(おば)
 
井口貞夫
 
犬養道子
 
犬養康彦
 
安藤和津
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
緒方道彦
 
緒方四十郎
 
 
 
緒方貞子
 
 
 
川島裕
 
芳沢光雄
 
佐々波楊子
 
 
 
井口武夫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
緒方篤
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

略歴

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1993年、世界経済フォーラム年次総会にて
2008年1月26日、世界経済フォーラム年次総会にて
  • 1927年9月16日:誕生
  • 1951年:聖心女子大学英文科卒業
  • 1951年:ロータリー国際親善奨学生(日本人として2人目)[16]
  • 1953年:ジョージタウン大学国際関係論修士課程修了
  • 1963年:カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程修了
  • 1965年:国際基督教大学非常勤講師
  • 1968年:国連総会日本政府代表顧問
  • 1974年:国際基督教大学準教授[注 4][要出典]
  • 1976-78年:国連日本政府代表部公使[17]
  • 1978–79年:国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長
  • 1979年:外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長
  • 1980年:上智大学教授
  • 1980-88年:上智大学国際関係研究所教授
  • 1981-85年:婦人問題企画推進会議委員
  • 1982-85年:国連人権委員会日本政府代表[17]
  • 1983-87年:国際人道問題独立委員会委員
  • 1987-88年:上智大学国際関係研究所長
  • 1989-91年:上智大学外国語学部長
  • 1990年:国連人権委員会ビルマ人権状況専門官(ビルマは現在のミャンマー)
  • 1991年:第8代国連難民高等弁務官に就任[17][注 5]
  • 1994年1月1日:国連難民高等弁務官に再任(1993年11月4日国連総会にて再選。任期5年)
  • 1999年1月1日:国連難民高等弁務官に再任(1998年9月29日国連総会にて再選。任期2年)
  • 2000年:難民教育基金を設立
  • 2000年12月31日:国連難民高等弁務官を退任
  • 2001年:人間の安全保障委員会共同議長
  • 2001年11月:アフガニスタン支援政府特別代表
  • 2001年:フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章
  • 2002年1月21-22日:アフガニスタン復興支援国際会議共同議長
  • 2003年:国連有識者ハイレベル委員会委員、人間の安全保障諮問委員会議長に就任
  • 2003年10月1日:国際協力機構 (JICA) 理事長就任
  • 2011年:人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任
  • 2012年3月31日:国際協力機構 (JICA) 理事長退任
  • 2012年4月1日:国際協力機構 (JICA) 特別顧問に就任
  • 2019年10月22日:死去、92歳没

栄典

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著書

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単著

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  • Defiance in Manchuria: the Making of Japanese Foreign Policy, 1931-1932, (Greenwood Press, 1964).
    『満州事変と政策の形成過程』(原書房、1966年)
      『満州事変――政策の形成過程』(岩波現代文庫、2011年8月)
  • 『日本における国際組織研究』(総合研究開発機構、1982年)
  • Normalization with China: A Comparative Study of U.S. and Japanese Processes, (Institute of East Asian Studies, University of California, 1988).
    添谷芳秀訳『戦後日中・米中関係』(東京大学出版会、1992年)
  • 『難民つくらぬ世界へ』(岩波書店、1996年)
  • 『私の仕事――国連難民高等弁務官の十年と平和の構築』(草思社、2002年)
  • The Turbulent Decade: Confronting the Refugee Crises of the 1990s(WW Norton, 2005).
    『紛争と難民――緒方貞子の回想』(集英社、2006年)
  • 『共に生きるということ――be humane』(PHP研究所、2013年)

共著

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  • At the Global Crossroads : the Sylvia Ostry Foundation Lectures, (McGill-Queen's University Press, 2003).
  • ユニフェム日本『女性と復興支援――アフガニスタンの現場から』(岩波書店, 2004年)
  • 野林健・納家政嗣編 『聞き書 緒方貞子回顧録』(岩波書店、2015年9月/岩波現代文庫、2020年3月)

編著

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共編著

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テレビ出演

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脚注

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注釈

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  1. ^ 旧姓中村は大学在学中に自治会の会長も務める。自ら立ち上げたテニスの初代部長。同部は軽井沢国際トーナメントでミックス・ダブルス優勝(1950年)、全日本シングルスベスト8の成績を上げる。
  2. ^ 現在の日本模擬国連 (JMUN)
  3. ^ 市川は『日本人女性を国際連合に送り出し、女性の地位向上に繋げたい』という思いを持っていたことによる。
  4. ^ 当時、他大学では助教授の職位が、ICUでは準教授と呼ばれていた。
  5. ^ 1990年12月21日国連総会にて選出、任期は1991年1月1日から3年、2月18日就任}。

出典

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  1. ^ 緒方貞子さん死去 元国連難民高等弁務官、92歳”. 朝日新聞デジタル (2019年10月29日). 2024年10月22日閲覧。
  2. ^ 緒方貞子さん死去は22日”. 共同通信. 共同通信社 (2019年10月29日). 2019年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月22日閲覧。
  3. ^ 訃報 弊機構緒方貞子元理事長逝去のお知らせ”. 独立行政法人 国際協力機構 (2019年10月29日). 2024年10月22日閲覧。
  4. ^ 緒方貞子さん死去 元国連難民高等弁務官、92歳”. 日本経済新聞 (2019年10月29日). 2024年10月22日閲覧。
  5. ^ 山本啓一「おすすめの本 」北陸大学
  6. ^ 第1回(1994年度) 緒方貞子 国連難民高等弁務官 - 読売国際協力賞:会社案内サイト「読売新聞へようこそ」”. 読売新聞 (1994年9月30日). 2016年4月12日閲覧。
  7. ^ 中日新聞』1976年2月17日付朝刊、11版、5面、「女性国連公使第1号に決まった緒方貞子 物腰柔らか、経験も豊富」。
  8. ^ 緒方貞子さん 元国連難民高等弁務官 視線は常に底辺の人に”. 日本経済新聞電子版 (2019年11月21日). 2019年11月22日閲覧。
  9. ^ 幻の緒方貞子外相(2002年) 行動派の弁務官、最後は辞退”. 日本経済新聞電子版 (2014年9月21日). 2016年4月12日閲覧。
  10. ^ 皇室典範に関する有識者会議・根拠・構成員”. 首相官邸 (2004年12月27日). 2016年4月12日閲覧。
  11. ^ 皇室典範に関する有識者会議 報 告 書”. 首相官邸 (2005年11月24日). 2016年4月12日閲覧。
  12. ^ 外務省: 緒方貞子氏の我が国及び国際社会への貢献に敬意を表すレセプション(実施概要)”. 外務省 (2012年4月17日). 2016年4月12日閲覧。
  13. ^ 緒方貞子氏の我が国及び国際社会への貢献に敬意を表すレセプション - YouTube”. 首相官邸公式チャンネル - YouTube (2012年4月19日). 2016年4月12日閲覧。
  14. ^ 『官報』第141号8頁 令和元年11月28日号
  15. ^ 15歳のニュース 緒方貞子さん死去 92歳 難民支援、生涯かけ 「現場主義」貫く”. 毎日新聞 (2019年11月2日). 2021年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月10日閲覧。
  16. ^ ロータリー学友世界奉仕賞に緒方貞子氏”. www.rotary.org. 2024年4月28日閲覧。
  17. ^ a b c 『私の仕事 国連難民高等弁務官の10年と平和の構築』朝日新聞出版、2017年。 
  18. ^ Sadako Ogata - Laureate Freedom from Want Award 1994 - Laureates since 1982 - Four Freedoms Awards” (英語). www.fourfreedoms.nl. 2019年2月14日閲覧。
  19. ^ 原口武彦(著)、アフリカ協会(編)「COUP D'OEIL 緒方貞子さんのウフェ・ボワニ賞受賞」『Africa』第36巻9号(通号417号)、アフリカ協会、1996年9月、doi:10.11501/6049570国立国会図書館書誌ID:000000006699-d6049570 
  20. ^ 朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月17日閲覧。
  21. ^ 「2001年度の文化勲章 中根千枝氏ら5人 功労者には緒方貞子氏ら15人」『読売新聞』2001年10月30日夕刊
  22. ^ あしなが育英会玉井会長が「エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章」を受章!”. あしなが育英会公式サイト (2015年10月20日). 2018年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月6日閲覧。
  23. ^ 「文化勲章に大岡信、緒方貞子氏ら5人 功労者は安藤忠雄氏ら15人」『読売新聞』2003年10月28日夕刊
  24. ^ 平成15年度 文化功労者及び文化勲章受章者(五十音順)” (PDF). 文部科学省 (2003年11月3日). 2011年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧。
  25. ^ 「世界が日本を待っている! ~団塊世代と国際貢献~」 - テレビ東京 2006年9月11日
  26. ^ NHKスペシャル 緒方貞子 戦争が終わらない この世界で - NHK名作選(動画他)”. NHKアーカイブス (2013年8月17日). 2016年4月12日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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先代
新設
国際協力機構理事長
2003年 - 2012年
次代
田中明彦
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