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道後山駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
道後山駅
駅舎(2024年9月)
どうごやま
Dōgoyama
小奴可 (4.2 km)
(6.8 km) 備後落合
地図
所在地 広島県庄原市西城町高尾
北緯35度0分39.22秒 東経133度10分41.77秒 / 北緯35.0108944度 東経133.1782694度 / 35.0108944; 133.1782694座標: 北緯35度0分39.22秒 東経133度10分41.77秒 / 北緯35.0108944度 東経133.1782694度 / 35.0108944; 133.1782694
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 芸備線
キロ程 37.8km(備中神代起点)
新見から44.2 km
電報略号 トコ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
1人/日(降車客含まず)
-2021年-
開業年月日 1936年昭和11年)11月21日[1]
備考 無人駅
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道後山駅(どうごやまえき)は、広島県庄原市西城町高尾にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)芸備線である。

JR西日本の駅では三井野原駅に次いで標高が高い駅である。(611m)[2]

歴史

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もともと小奴可-備後落合間には駅は設けられない計画だったが、当駅北方にそびえる道後山の観光振興や鉱物資源の運搬に活用すべく、比婆郡八鉾村(当時)の住民が中心となって新駅設置の期成同盟会を結成。広島県会議員野上民三郎(のち広島県議会副議長、東城町出身)や永山忠則・宮田武義(書家で日比谷山水楼店主、八鉾村出身)ら比婆郡の名士らの協力のもと、熱烈な駅設置運動が行われた。その後晴れて道後山駅が置かれることが決まったが、駅の建設が路線開業に間に合わず、1ヶ月ほど遅れての駅開業となった。

1938年(昭和13年)には道後山の中腹に国鉄山の家が開業するなど開発が進み、当駅はその玄関口として登山客やスキーヤーに利用された。当駅から道後山までは10km弱離れており、アプローチとしては徒歩のほか、備北交通のバスが運行されていた。

1939年(昭和14年)から太平洋戦争に伴う一時中断をはさんで昭和20年代後半まで、広島駅を前日深夜に出発し当駅に翌早朝到着する週末スキー列車がしばしば運行されていた。[3]また、昭和30年代には夏の行楽シーズンに当駅の駅員が道後山へ登り、採集したスズランを鉢に植え、近隣の主要駅に贈るといった観光PRがおこなわれていた。[4]

1970年代に道路整備が進むと、道後山への玄関口としての機能は備後落合駅に移り、当駅は無人化や急行列車が停車しなくなるなど次第に寂れていった。

駅構造

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構内(2007年9月)

備後落合駅に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては相対式ホーム2面2線の構造を有したが、片側(駅舎反対側)の線路が撤去され、現在は停留所構造となっている。秘境駅として有名である。

駅舎はあるが、新見駅管理の無人駅であり、自動券売機等の設備はない。駅事務室は現在、改修されて消防機庫として消防車が入っている。なお、トイレは駅舎の右側に隣接する公衆便所がそれに該当する。

2011年までは駅西側に高尾原スキー場が隣接しており、かつてはスキーヤーで賑わっていた。無人駅であったが冬季のスキーシーズンは期間限定の有人駅となり、スキー用の臨時列車が停車していた時期もある。ホームのすぐそばにレストハウス「高尾原山荘」やリフト、臨時切符売り場があり、スキー場の閉鎖後もしばらく残されていたが2015年3月20日に全て解体撤去され、ゲレンデ跡が残るのみとなった。現在ゲレンデ跡では鍵掛峠道路の建設工事が行われており、当駅の廃ホームも資材置き場として使われている。

利用状況

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1日平均の乗車人員は以下の通り。

年度 1日平均
乗車人員
出典
1981年(昭和56年) 16
1990年(平成2年) 16

2002年(平成14年) 1 [11]
2003年(平成15年)
2004年(平成16年)
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
2009年(平成21年)
2010年(平成22年)
2011年(平成23年) 0 [12]
2012年(平成24年) 0 [12]
2013年(平成25年) 0 [12]
2014年(平成26年) 0 [13][12]
2015年(平成27年) 0 [12]
2016年(平成28年) 0 [12]
2017年(平成29年) 0 [12]
2018年(平成30年) 0
2019年(令和元年) 0
2020年(令和2年) 0
2021年(令和3年) 1

駅周辺

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当駅から少し東に高梁川水系と江の川水系の分水嶺があり、旧東城町と旧西城町の町境ともなっていた。

また当駅から小奴可方面に進み、県道444号線の橋と交差する辺りが、芸備線の最高地点(標高620m)である。

当駅正面に見える植木集落は、明治半ばまで伯耆街道と東城往来が交わる宿場町であった。また、当駅南の上高尾地区では、鉄穴流しによる採鉄やたたら製鉄が行われていた。現在は寒冷気候を生かし、りんご園が数軒営まれている。

その他

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隣の駅

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西日本旅客鉄道(JR西日本)
P 芸備線
快速(下り1本のみ)・普通
小奴可駅 - 道後山駅 - 備後落合駅

脚注

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  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、264頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ なんでもランキング:JR西日本”. www.westjr.co.jp. 2022年8月10日閲覧。
  3. ^ 「白雪号も出動 あすはスキー日曜学校開校 各地の雪便りは上々」『中国新聞』1939年1月8日、夕刊。
  4. ^ 「鈴蘭咲く道後山へ 鉢植を主要駅に贈る」『中国新聞』1958年6月22日、備後版。
  5. ^ 第69回帝国議会請願文書表第540号「八鉾村ニ停車場設置ノ件」
  6. ^ 「三神線"道後山駅"創設の吉報来る」『中国新聞』1936年8月23日、朝刊。
  7. ^ 「雪踏んで裸の土人も 高尾原のスキー祭り」『中国新聞』1953年1月22日、備後版。
  8. ^ “日本国有鉄道公示第198号”. 官報. (1972年9月1日) 
  9. ^ 中国新聞 1972年9月1日付
  10. ^ 「通報 ●芸備線坂根駅ほか24駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1972年9月1日、7面。
  11. ^ 「飲食・小売の出店を科学する出店戦略情報局」のアーカイブデータ
  12. ^ a b c d e f g 国土数値情報 駅別乗降客数データ
  13. ^ 第2期庄原市生活交通ネットワーク再編計画” (PDF). 庄原市 (2016年3月). 2017年9月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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