野村恒造
表示
野村 恒造 のむら こうぞう | |
---|---|
生年月日 |
1850年10月22日 (嘉永3年9月17日) |
出生地 | 日本 周防国都濃郡徳山村 |
没年月日 | 1920年1月4日(69歳没) |
死没地 | 日本 |
親族 | 佐竹義文(娘婿) |
選挙区 | 山口県第4区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1890年7月 - 1891年8月28日 |
選挙区 | 多額納税者議員 |
在任期間 | 1897年9月29日 - 1904年9月28日 |
野村 恒造(のむら こうぞう、嘉永3年9月17日(1850年10月22日)[1] - 大正9年(1920年)1月4日[2])は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]嘉永3年(1850年)9月17日、徳山藩士[3]・野村雲僲の次男として[1]、周防国都濃郡徳山村(徳山町、徳山市を経て、現在の周南市)に生まれる[4]。徳山藩の献功隊に加わり、戊辰戦争に従軍した[3]。明治7年(1874年)5月、兄・慎一が死去し、家督を相続した[1][3]。
明治10年(1877年)以降、徳山村会議員、同村長、山口県会議員、都濃郡会議員、同郡参事会員などを歴任する[2]。
明治23年(1890年)7月の第1回衆議院議員総選挙で山口県第4区から無所属で出馬して当選し衆議院議員を1期務めたが[5]、任期中の明治24年(1891年)8月28日に辞職した[6]。ついで、明治30年(1897年)山口県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[7]明治37年(1904年)9月28日まで在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。