コンテンツにスキップ

北警察署 (愛知県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛知県北警察署
地図
都道府県警察 愛知県警察
管轄区域 名古屋市北区の一部
課数 7
交番数 10
所在地 462-0843
愛知県名古屋市北区田幡二丁目15番18号
位置 北緯35度11分45.57秒 東経136度54分42.24秒 / 北緯35.1959917度 東経136.9117333度 / 35.1959917; 136.9117333座標: 北緯35度11分45.57秒 東経136度54分42.24秒 / 北緯35.1959917度 東経136.9117333度 / 35.1959917; 136.9117333
外部リンク 公式ウェブサイト(日本語)
テンプレートを表示

北警察署(きたけいさつしょ)は、愛知県警察が管轄する警察署の一つである。大規模警察署であり、署長は警視正であったが参事官級警視に格下げされた。

所在地

[編集]

管轄区域

[編集]

沿革

[編集]

交番

[編集]
地図
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
3 km
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
略地図
1
如意交番
2
味鋺交番
3
辻交番
4
飯田交番
5
大曽根駅前交番
6
若葉交番
7
清水交番
8
光音寺交番
9
志賀交番
10
金城交番(廃止)
( )の中は所在地
  • 如意交番(如意1丁目)
  • 味鋺交番(楠味鋺3丁目)
  • 辻交番(辻町4丁目)
  • 飯田交番(上飯田通1丁目)
  • 大曽根駅前交番(山田1丁目)
  • 若葉交番(瑠璃光町1丁目)
  • 清水交番(清水5丁目)
  • 光音寺交番(金城町4丁目)
1968年(昭和43年)開所[3]。老朽化により2016年(平成28年)、鉄筋2階建て延床面積約74平方メートルの棟に建て替えられた[3]。また、事件相談を行うコミュニティコーナー及び女性用トイレが新設された[3]
2013年5月6日20時過ぎ、同区内の17歳と16歳の少年が交番内机上において排泄物入りのビニール袋をロケット花火4本を使い破裂させるという事件が発生した。事件時交番は無人だった。少年らは11日、威力業務妨害(排泄物処理にあたった当署員7人の業務を妨害した)と建造物侵入の容疑で逮捕された[4]

駐在所

[編集]
なし。

主な事件

[編集]
1965年(昭和40年)2月15日17時10分頃、萩野通飲食店Sで名古屋市交通局員M子(22)ほか2名の計3名で食事をしていたところ、西側の入口から現れた猟銃を持った男が突然発砲した。その時発射された弾丸3発によりM子は即死、友人2人は重傷を負った。男は原動機付自転車に乗り、さらに志賀町喫茶店Uのガラスに向けて、続けて同町喫茶店Tの調理場の窓越しに発砲して逃走した。北署は原付のナンバーから犯人をN(31)と断定。Nはラジオニュースにより事件を知った民間人の通報により、同日19時15分頃岐阜市西明見町路上で逮捕された。[2]
  • 紅雲町の三角関係殺人事件
1967年(昭和42年)12月30日17時30分頃、紅雲町のTアパートから同アパートに居住するO(26)の部屋で人が刺されたという通報があった。署員が現場に到着したところ、Oは顔面等に硫酸をかけられ重傷を負っている状態で、ホステスY(25)が胸部等を刺され仰向けになった状態で即死。さらにA(34)が同アパート前の路上で胸部等を刺されうつぶせの状態で絶命していた。捜査の結果、次のことが判明した。YはM(30)と同棲していたが、最近Oとも肉体関係を持っていた。そのことをMが知るところとなり、Yは12月25日にM宅から家出することになる。MはYがO宅にいることを知り激昂。自宅にあった牛刀(刃渡り21センチメートル)と硫酸を持ち出し、O宅で犯行に及んだということである。Mはまもなく出頭した。[2]
  • 安井町若夫婦強盗殺人事件
1969年(昭和44年)2月21日10時25分頃、安井町2丁目の会社員Y(28)宅に訪れたY妻Hの母M(60)がYとH夫妻が血まみれで死亡しているのを発見した。死因はハンマーのような鈍器頭部を殴られたため、頭蓋底陥没によるものと推定。周辺の捜索により、同日15時頃被害者宅から300メートル南東にあった空き地からの付いた金槌が発見された。また、交際関係からHの妹婿F(38)が被害者から52万円の借金をしていたことが判明。さらに、Fの着衣および自転車等からルミノール反応が検出され、現場に残されていた指紋とも一致したため、23日Fを逮捕した。Fは借金を隠滅するために夫妻を殺害したことを認めた。[2]
  • 楠町室内装飾業者強盗殺人事件
1976年(昭和51年)2月21日19時45分頃、楠町大字味鋺字南山(当時)の室内装飾業NK(64)宅に訪れた同社店員T(24)がベッド上で血まみれになって死亡しているNKを発見した。遺体にはハンマーのような鈍器で後頭部を殴打された形跡があり、また頚部にビニールひもが巻き付けられていた。宅内を捜索すると、電話台南側に置かれていたポリ製書類入れから、女性との関係にかかわる誓約書らしきものが見つかった。ここから、被害者のNKは緑区鳴子町のN生命特約店K(63)を通じてS子(42)を紹介され、親密な関係になっていたことが判明した。さらに、S子が経営していたお好み焼き屋が資金繰りに困りNKに相談したことをきっかけに、二人の関係が不仲になっていたこともわかった。また、現場から印鑑預金通帳の類が見つからなかったことから、近隣の銀行に問い合わせたところ、2月16日頃、名古屋相互銀行(現名古屋銀行)A支店から被害者名義の普通預金口座より現金120万円が引き出されていたことがわかった。この際に提出された書類の筆跡鑑定の結果、被害者の筆跡ではなく、書類からKの指紋が検出されたことから、Kを重要参考人として任意取調したところ、犯行を自供した。Kは1952年商品詐欺の犯人として検挙されており、その時に指紋を採取されていた。[2]
  • 楠町スナック経営者殺人放火事件
1979年(昭和54年)2月1日3時50分頃、楠町味鋺大塚裏のスナックUのひさしから、ドカンという音とともにが上がった。その音を聞いた隣の中華料理店長(36)が119番通報したため、天井カウンターを焼いただけで済んだが、女性の遺体を発見したため北署に届け出た。遺体は、顔を殴打され、首にタオルが巻かれ、下半身は裸になっている上に乱暴された跡があった。この遺体は同店経営者の女性K(38)とわかった。ホステス2人の証言によりその日遅くまで同店で飲んでいた男のモンタージュ写真を作成、手配した。すると、2日10時30分頃、守山警察署管内のパチンコ店Bの店長から写真に似た男が店内にいるという通報があり、近くの新堀派出所に同行を求めた。事情聴取の結果、男は守山区大字瀬古の自動車修理工見習T(17)で、Kに「早く帰れ」と言われたことに立腹し殺害したことを自供した。放火したのは証拠隠滅のためだった。[2]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 愛知県警察本部警務部教養課『愛知県警察風土誌』愛知県警察本部警務部教養課、1981年。 
  • 北区制50周年記念事業実行委員会『北区誌』北区制50周年記念事業実行委員会、1994年2月11日。 
  • 中日新聞社「防犯の拠点一新 開所式(2016年4月13日朝刊市民版16面)」『中日新聞縮刷版 平成28年4月号』中日新聞社、2016年5月25日、540頁。 

外部リンク

[編集]
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy