呉文光
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呉 文光 | |
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中国語 | 吴文光 |
漢語拼音 | Wú Wénguāng |
出生名 | 呉文光 |
民族 | 漢民族 |
生誕 |
1956年10月??日 中華人民共和国 雲南省昆明市 |
国籍 | 中華人民共和国 |
職業 | 映画監督 |
活動期間 | 1985年 - 現在 |
パートナー | 文慧 |
出身校 | 雲南大学 |
呉 文光(ウー・ウェングアン[1][2]、ウー・ ウェンガン[3]、1956年 - )は、雲南省昆明市生まれ、雲南大学出身の中国の映画監督、作家[4]。
「中国インディペンデント・ドキュメンタリー運動のパイオニア」と評されている[5]。
経歴
[編集]呉文光は、1956年に雲南省[6]昆明市に生まれた[7]。文化大革命の爆発の後、知識青年の上山下郷運動によって徴農されて農民となった[6]。1978年、大学入学試験が復活すると、呉文光は雲南大学中文学部に入学し、その後卒業して、各地で教職に就いていた[6][7]。1985年から1988年にかけて、呉文光は昆明電視台 (昆明电视台) の記者として働いた[6]。1988年には北京市に移り住み、映像作品の制作を手がけるようになった[6]。
作品
[編集]書籍
[編集]映画
[編集]- 流浪北京:最後の夢想家たち《流浪北京:最后的梦想者》1991年[6]
- 私の紅衛兵時代《1966,我的红卫兵时代》1993年
- 山形国際ドキュメンタリー映画祭 (YIDFF '93) で小川紳介賞を受賞[6]
- 四海我家《四海为家》1995年[6]
- 《江湖》
- 出稼ぎ労働者と踊る、2001年[6]
- ファック・シネマ《操他媽電影》2005年[1]
- 治療《治疗》2010年[2]
脚注
[編集]- ^ a b ファック・シネマ - MOVIE WALKER PRESS
- ^ a b 治療 - MOVIE WALKER PRESS
- ^ “1)新しい中国のドキュメンタリーとその広がり”. シネマトリックス. 2019年7月24日閲覧。
- ^ “吴文光:纪录片让我感到兴奋” (中国語). 网易. 2010年6月8日閲覧。
- ^ “審査員 呉文光”. 山形国際ドキュメンタリー映画祭. 2019年7月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “人物 吴文光”. 歌德学院. 2019年7月24日閲覧。
- ^ a b 菅原慶乃「映画の自立と自由を求めて ― 中国のインディペンダント映画について」『言語文化』第8巻第1号、同志社大学言語文化学会、2005年、56頁。 NAID 110001876755
- ^ a b c “吴文光:活动的影像” (中国語). 新浪网. 2004年10月1日閲覧。