篠田次郎
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篠田 次郎(しのだ じろう、1933年 - )は、日本の清酒評論家、建築家[1]。「吟醸酒ブームの仕掛け人」として知られる。
経歴
[編集]宮城県仙台市に生まれ、仙台市内の商業学校から福島大学経済学部に進んだ[1]。卒業後、上京して化粧品会社に勤めた後、仙台に戻って建材会社に勤務し、この時期に新潟県で酒蔵の設計などに関わった[1]。1965年に独立して再度上京し、建築士資格をもった友人とともに設備設計事務所である篠田安藤建築設計事務所、ジェイナスコンサルタンツを開設し[2]、以降、技術士や中小企業診断士などを含め各種資格の取得を果たし、1973年には自らも一級建築士となった[1]。篠田の下には全国から酒蔵設計の依頼があり、2000年までに50カ所を手がけた[1]
1975年に「幻の日本酒を飲む会」を始め、主催者として日本酒の普及活動に関わり、「吟醸酒ブームの仕掛け人」と称されるようになる[1]。ただし、当人はこの呼称を必ずしも歓迎していなかった[3]。
先天性の網膜色素変性症によって、1995年に失明し、2000年には「幻の日本酒を飲む会」を解散したが、その後も執筆活動を続け[1]、また、視覚障害者を対象とした酒蔵見学ツアーの企画などに関わっている[4][5][6]。
2002年には、新設された特定非営利活動法人吟醸酒研究機構の代表である「世話人頭」となった[2][7]。
おもな著書
[編集]- 吟醸酒:全国市販吟醸酒カタログ、鎌倉書房、1984年
- 1985年、1987年に内容を更新した新版が出ている。
- 幻の日本酒を求めて、大陸書房、1986年
- 日本の酒づくり:吟醸古酒の登場、中央公論社(中公新書)、1987年
- 吟醸酒誕生:頂点に挑んだ男たち、実業之日本社、1992年
- 吟醸酒誕生:頂点に挑んだ男たち、中央公論社(中公文庫)、1998年
- 吟醸酒の来た道:至高の味わいを生んだ究極の技、実業之日本社、1995年
- 吟醸酒の来た道、中央公論社(中公新書)、1999年
- 吟醸酒の光と影:世に出るまでの秘められたはなし、技報堂出版、2001年
- 「幻の日本酒」酔いどれノート、無明舎出版、2002年
- 日本酒ことば入門、無明舎出版、2008年
編著
[編集]- 全国清酒品評会:明治40年~昭和13年 名誉賞・優等賞全記録、 ほなみ出版、1992年
創作
[編集]- 釜石ドリー物語、無明舎出版、2014年
出演
[編集]CM
[編集]- 東芝 日本語ワープロ TOSWORD JW-1(1983年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 「あの人に聞きたい 私の選んだ道 第15回 日本酒評論家 篠田次郎さん」『進路指導』、公益財団法人日本進路指導協会、2000年。:“あの人に聞きたい 私の選んだ道 第15回 日本酒評論家 篠田次郎さん”. 実業之日本社. 2014年12月19日閲覧。
- ^ a b “日本吟醸酒協会について”. 日本吟醸酒協会. 2014年12月19日閲覧。
- ^ 篠田次郎. “幻の日本酒を飲む会・・・会三則 会長 篠田次郎”. 木陰浮月粋人盃. 2014年12月19日閲覧。
- ^ “視覚障害者も参加 東村山で酒蔵見学”. 読売新聞・東京朝刊・多摩: p. 36. (2006年2月12日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ “手触り・香り・音、酒造り工程体感 小千谷で視覚障害者ら”. 朝日新聞・朝刊・新潟全県: p. 33. (2014年3月23日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “指で舌で酒造り体感 目の不自由な20人、酒蔵ツアー楽しむ 川場”. 朝日新聞・朝刊・群馬全県: p. 37. (2014年4月13日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “特定非営利活動法人吟醸酒研究機構”. Weblio (2012年3月31日). 2014年12月19日閲覧。:原ページは、内閣府NPOページ(“全国特定非営利活動法人情報の検索”. 内閣府. 2014年12月19日閲覧。)から検索できる。
外部リンク
[編集]- 富田通信 第156号(2000.09.10) - 富田酒店