勝田永吉
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勝田永吉 かつた えいきち | |
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生年月日 | 1888年11月30日 |
出生地 | 大阪府三島郡富田町[1] |
没年月日 | 1946年4月13日(57歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学独法科[2] |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
立憲民政党→ 翼賛政治体制協議会→ 日本進歩党 |
当選回数 | 6回 |
勝田 永吉(かつた えいきち[3]、1888年(明治21年)11月30日[4] - 1946年(昭和21年)4月13日[3])は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(大阪府第五区選出、当選6回)[3]。
人物
[編集]大阪府三島郡富田町(現高槻市)出身[1]。勝田悌三郎の二男[2][5]。1913年、東京帝国大学法科大学独法科卒業[2][5][6]。弁護士の業務に従事する[3]。
衆議院議員に6回当選する[3]。立憲民政党、日本進歩党に所属する[1][3]。1946年4月13日、死去[3]。
略歴
[編集]- 1928年(昭和3年) - 第16回衆議院議員総選挙大阪5区当選
- 1930年(昭和5年) - 第17回衆議院議員総選挙当選
- 1932年(昭和7年) - 第18回衆議院議員総選挙当選
- 6月 -斎藤実内閣内務参与官
- 1936年(昭和11年) - 第19回衆議院議員総選挙
- 1937年(昭和12年) - 第20回衆議院議員総選挙
- 1942年(昭和17年) - 第21回衆議院議員総選挙(翼賛政治体制協議会推薦)
- 1945年(昭和20年) - 大日本政治会幹事長
- 6月 - 衆議院副議長
- 10月 - 議会制度調査特別委員長
脚注
[編集]- ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』124頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月21日閲覧。
- ^ a b c 『帝国大学出身名鑑』か48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『議会制度七十年史 第11』136頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月21日閲覧。
- ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、5頁。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』カ78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月22日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正3年 至大正4年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月5日閲覧。