加藤彰廉
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加藤 彰廉(かとう あきかど、文久元年12月27日[1](1862年1月26日) - 昭和8年(1933年)9月18日[2])は、衆議院議員(無所属団→公友倶楽部→公正会)、教育者。
経歴
[編集]伊予松山藩士宮城正修の二男として江戸に生まれ、加藤彰の養子となった[3][注釈 1]。1884年(明治17年)、東京大学文学部を卒業。文部省御用掛、主税局御用掛、大蔵属を歴任した[4]。1888年(明治21年)、山口高等中学校教諭となり、1894年(明治27年)に広島中学校の校長に就任した。
1895年(明治28年)に市立大阪商業学校(現在の大阪市立大学)教諭に招かれ、1899年(明治32年)に校長となり、1901年(明治34年)まで務めた(任期中に市立大阪高等商業学校に校名変更)[5]。その後、大阪高等学校教諭を務め、1909年(明治42年)から1915年(大正4年)まで再び大阪高等商業学校校長を務めた[4]。
1915年、第12回衆議院議員総選挙に大阪府から出馬し、当選した。
1916年、愛媛県松山市の私立北予中学校校長に就任[2]。1923年(大正12年)、松山高等商業学校(現在の松山大学)が創設されると初代校長となり、死去するまで在職した[2]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1935年、補遺20頁では、加藤彰の長女・ヒデの入夫。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。
- 『愛媛県人物名鑑 第一輯』海南新聞社、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 井上要 『北予中学・松山高商楽屋ばなし』 1933年。
- 星野通編 『加藤彰廉先生』 加藤彰廉先生記念事業会、1937年。
- 大阪商科大学六十年史編纂委員会 『大阪商科大学六十年史』 1944年。
- 川東竫弘 『松山高商・経専の歴史と三人の校長』 愛媛新聞サービスセンター、2017年。 ISBN 978-4-86087-131-4