コンテンツにスキップ

大島寅吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大島寅吉
おおしま とらきち
生年月日 1875年2月19日
出生地 日本の旗 日本 新潟県刈羽郡
没年月日 (1958-06-01) 1958年6月1日(83歳没)
死没地 日本の旗 日本 北海道函館市
出身校 東京法学院卒業
(現・中央大学
前職 漁業
所属政党立憲民政党→)
翼賛政治会→)
日本進歩党→)
改進党

選挙区 北海道第3区
当選回数 4回
在任期間 1932年2月20日 - 1945年12月18日

選挙区 函館市選挙区
当選回数 1回

選挙区 4回
テンプレートを表示

大島 寅吉(おおしま とらきち、1875年明治8年)2月19日[1] - 1958年昭和33年)6月1日[2][3])は、日本の実業家政治家衆議院議員

経歴

[編集]

新潟県刈羽郡生まれ[4]1896年(明治29年)7月、東京法学院(現・中央大学)を卒業[2][4][5]

帰郷してロシア漁業に従事[2][5]。その後、函館市会議員(当選4回[6])、北海道会議員函館市選出、民政党所属、当選1回[4][7][8][9])、同参事会員、函館商工会議所議員、函館硫安会社社長、大島合名会社社長などを務めた[2]

1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙で北海道第3区から立憲民政党所属で出馬して当選し、その後第21回総選挙まで連続4回の当選を果たした[2][5]。この間、米内内閣鉄道参与官を務めた[2]。戦後、公職追放となった[10]。追放解除後、第26回衆議院議員総選挙改進党公認で旧北海道3区から立候補したが、落選した[6]。1958年(昭和33年)6月1日午後0時20分、老衰のため函館市内の自宅で死去した[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、33頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』128-129頁。
  3. ^ a b 国会 11(6)(121) 27コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c 函館市誌 583コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』110頁。
  6. ^ a b 選挙の記録 昭和28年 235コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 最新議員名鑑 : 衆議院議員・道府県会議員 208コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 最新議員名鑑 : 衆議院議員・道府県会議員 209コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 最新議員名鑑 : 衆議院議員・道府県会議員 547コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、497頁。NDLJP:1276156 

参考文献

[編集]
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056


pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy