コンテンツにスキップ

宝塚歌劇団2期生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宝塚歌劇団2期生(たからづかかげきだん2きせい)は、1913年(大正3年)11月に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚唱歌隊。翌12月に宝塚少女歌劇養成会に改称)に入団し、1914年(大正4年)に初舞台を踏んだ4名を指す[1][2]

概要

[編集]

初舞台の演目は、篠原淺茅:1914年の第一回公演『ドンブラコ/浮れ達磨/胡蝶』[3]

この期には、初代瀧川末子が入団。

一覧

[編集]

※同じ初舞台グループで分けている[4]

芸名[4] 読み仮名[4] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 配属[4] 退団年[4] 備考
篠原淺茅 しのはら あさじ 10月30日[5] 大阪府大阪市[5] 百人一首 娘役[6] 1921年
芸名[4] 読み仮名[4] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 配属[4] 退団年[4] 備考
瀧川末子 たきがわ すえこ 1月27日[7] 兵庫県川辺郡小浜村[8] 百人一首 男女両役[6] (花組)[注釈 1] 1931年 宝塚音楽学校日本舞踊講師[9]
人見八重子 ひとみ やえこ 2月15日[7] 大阪府[7] 百人一首 1930年
吉野雪子 よしの ゆきこ 9月1日[7] 大阪府[7] 百人一首 カーちゃん[10] 娘役 1919年 夫は楳茂都陸平[10][11]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 組分けがなされた後

出典

[編集]
  1. ^ 90年史 2004, p. 179.
  2. ^ 100年史(舞台) 2014, p. 17.
  3. ^ 100年史(舞台) 2014, p. 38.
  4. ^ a b c d e f g h i 100年史(人物) 2014, p. 6.
  5. ^ a b 藤山 1920, p. 147.
  6. ^ a b 100年史(人物) 2014, p. 130.
  7. ^ a b c d e 藤波 1919, p. 96.
  8. ^ 橋詰せみ郎『寳塚の歌劇少女』新正堂書店、1923年12月5日、55頁。
  9. ^ 『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、216頁。 
  10. ^ a b 編集・発行:市橋浩二『宝塚歌劇五十年史』宝塚歌劇団、1964年5月1日、134頁。doi:10.11501/2504313 
  11. ^ 宇佐見正「あゆみI (1914〜32)」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、55頁。 

参考文献

[編集]
  • 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6NCID BA66869802全国書誌番号:20613764 
  • 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0 
  • 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(舞台編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14600-3 
  • 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日。doi:10.11501/906129 
  • 藤山宗利『日本歌劇俳優写真名鑑』歌舞雑誌社、1920年8月16日。doi:10.11501/914937 
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy