宝塚歌劇団2期生
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宝塚歌劇団2期生(たからづかかげきだん2きせい)は、1913年(大正3年)11月に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚唱歌隊。翌12月に宝塚少女歌劇養成会に改称)に入団し、1914年(大正4年)に初舞台を踏んだ4名を指す[1][2]。
概要
[編集]初舞台の演目は、篠原淺茅:1914年の第一回公演『ドンブラコ/浮れ達磨/胡蝶』[3]。
この期には、初代瀧川末子が入団。
一覧
[編集]※同じ初舞台グループで分けている[4]。
芸名[4] | 読み仮名[4] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 配属[4] | 退団年[4] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
篠原淺茅 | しのはら あさじ | 10月30日[5] | 大阪府大阪市[5] | 百人一首 | 娘役[6] | 1921年 |
芸名[4] | 読み仮名[4] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 配属[4] | 退団年[4] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
瀧川末子 | たきがわ すえこ | 1月27日[7] | 兵庫県川辺郡小浜村[8] | 百人一首 | 男女両役[6] | (花組)[注釈 1] | 1931年 | 宝塚音楽学校日本舞踊講師[9] | ||
人見八重子 | ひとみ やえこ | 2月15日[7] | 大阪府[7] | 百人一首 | 1930年 | |||||
吉野雪子 | よしの ゆきこ | 9月1日[7] | 大阪府[7] | 百人一首 | カーちゃん[10] | 娘役 | 1919年 | 夫は楳茂都陸平[10][11] |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 組分けがなされた後
出典
[編集]- ^ 90年史 2004, p. 179.
- ^ 100年史(舞台) 2014, p. 17.
- ^ 100年史(舞台) 2014, p. 38.
- ^ a b c d e f g h i 100年史(人物) 2014, p. 6.
- ^ a b 藤山 1920, p. 147.
- ^ a b 100年史(人物) 2014, p. 130.
- ^ a b c d e 藤波 1919, p. 96.
- ^ 橋詰せみ郎『寳塚の歌劇少女』新正堂書店、1923年12月5日、55頁。
- ^ 『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、216頁。
- ^ a b 編集・発行:市橋浩二『宝塚歌劇五十年史』宝塚歌劇団、1964年5月1日、134頁。doi:10.11501/2504313。
- ^ 宇佐見正「あゆみI (1914〜32)」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、55頁。
参考文献
[編集]- 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(舞台編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14600-3。
- 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日。doi:10.11501/906129。
- 藤山宗利『日本歌劇俳優写真名鑑』歌舞雑誌社、1920年8月16日。doi:10.11501/914937。