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萩原淳 (棋士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 萩原淳 九段
名前 萩原淳
生年月日 (1904-10-11) 1904年10月11日
没年月日 (1987-12-14) 1987年12月14日(83歳没)
プロ入り年月日 1924年(19歳)[注 1]
引退年月日 1944年
棋士番号 5
出身地 兵庫県尼崎市
所属 将棋同盟社
→東京将棋連盟
日本将棋連盟(関東)
→将棋大成会(関東)
→日本将棋連盟(関東)
師匠 土居市太郎名誉名人
段位 九段
棋士DB 萩原淳
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
順位戦最高クラス A級(3期)
2022年2月14日現在
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萩原 淳(はぎわら きよし、1904年明治37年)10月11日 - 1987年昭和62年)12月14日)は、将棋棋士。棋士番号5。九段。日本将棋連盟会長。土居市太郎名誉名人門下。兵庫県尼崎市出身。

経歴

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1922年土居市太郎に入門。兄弟弟子に金子金五郎加藤博二大内延介らがいる。1924年四段昇段。

史上初の実力制名人を決める第1期名人戦(八段者によるリーグ、1935 - 1937年)の最中、将棋界の分裂事件(神田事件)が発生。欠員を補充する形で萩原は1936年に八段昇段し、リーグに参加。

1941年、オール八段戦優勝。

1949年、第2回全日本選手権戦で木村義雄升田幸三との決勝三者リーグを制し優勝。なお、同棋戦は翌年からタイトル戦となっている(九段戦、現在の竜王戦)。

順位戦A級には3期在籍。1955年から日本将棋連盟会長。

1964年引退。1974年九段。1987年急性心不全のため死去。

昇段履歴

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  • 1922年00月00日: 入門
  • 1924年00月00日: 四段
  • 1927年00月00日: 五段
  • 1928年00月00日: 六段
  • 1932年00月00日: 七段
  • 1936年00月00日: 八段
  • 1964年00月00日: 引退
  • 1974年11月00日: 九段

主な戦績

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一般棋戦優勝

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  • オール八段戦優勝:1回(1941年度)
  • 全日本選手権戦優勝:1回(1949年 = 第2回)

在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[3]
(出典)竜王戦
出典[4]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1947 1 A 03 10-5
1948 2 A 03 3-10
1949 3 A 09 2-7
1950 4 B1 5-3
1951 5 B1 4-8
1952 6 B121 5-4
1953 7 B111 6-6
1954 8 B107 5-6
1955 9 B108 1-12
1956 10 B203 7-6
1957 11 B204 8-3
1958 12 B113 2-10
1959 13 B201 7-5
1960 14 B205 4-8
1961 15 B209 4-7
1962 16 B210 0-12
1963 17 B211 休場
1964 18 B215 3-9
1964年引退 ( 棋戦創設前 )
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

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公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1945 2 1 1 0.5000
1946 22 14 8 0.6364
1947 15 3 12 0.2000
1948 12 4 8 0.3333
1949 17 10 7 0.5882
1950 17 5 12 0.2941
1951 17 7 7 0.5000
1952 24 13 11 0.5417
1953 27 10 16 0.3846
1954 24 7 17 0.2917
1955 32 18 14 0.5625
1956 27 17 18 0.6296
1957 26 6 20 0.2308
1958 25 12 13 0.4800
1959 25 9 16 0.3600
1960 20 8 12 0.4000
1961 19 0 19 0.0000
1962 1 0 1 0.000
1963 21 4 17 0.1905
1964年引退

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ ここでは便宜上、四段昇段日をプロ入り日として扱うが、萩原のプロ入り当時は初段昇段時から専門棋士として扱われていたとされる。昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった[1]。その頃、それと並行して奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立していった[2]

出典

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  1. ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36
  2. ^ 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220
  3. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  4. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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外部リンク

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