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佐野元春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐野 元春
別名
  • Lion
  • MOTO
  • 棟梁
  • Holland Rose
生誕 (1956-03-13) 1956年3月13日(68歳)
出身地 日本の旗 日本東京都台東区
学歴 立教大学社会学部
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1980年 -
レーベル
共同作業者
公式サイト Moto's Web Server

佐野 元春(さの もとはる、1956年3月13日[3] - )は、日本ミュージシャンシンガーソングライター東京都出身。

1980年に、シングル『アンジェリーナ』でデビュー。詩人としてのメッセージを内包した歌詞、多様なリズムとアレンジ、ラップスポークン・ワーズなどの手法を実践。さまざまなジャンルの音楽を折衷させた曲を数多く発表して作品の商業的ヒットに関係なく高い評価を得ている。現在は独立系レーベル「Daisy Music」を主宰し、インターネットを通じた音楽活動等でも先駆的な試みを続けている。

経歴

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デビュー以前

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東京都千代田区神田生まれ(出身は台東区浅草寺に近い下町[4])。当時の家族構成は本人、両親、妹が一人。父は会社の経営者で、母は元新劇女優で青山でジャズ喫茶を運営[5]。少年時代は漫画家に憧れ、手塚治虫のアトリエを訪れたり、自身が描いた漫画を雑誌に投稿しようとしたこともあったが、徹夜で書いた漫画を母に破り捨てられたことがきっかけで、急速に漫画から音楽に関心が移っていく[6]

中野区立第四中学校入学前後に、友人からトランジスタ・ラジオをもらい、HOT100系のポップスやブリティッシュ・インヴェイジョン系のロックに傾倒[7]。中学1年の夏にザ・フーピート・タウンゼントのギター姿に憧れ、のちにアルバイトで資金を貯めてギターを購入[8]。この時期に詩にもはまり、ランボーマラルメなど愛読。中学2年の初夏にヘルマン・ヘッセの「赤いブナの木」にメロディを付けたものが初の自作曲になる。

立教高等学校(現・立教新座高等学校)1年の夏にボブ・ディランを知り、強い影響を受ける。ディランが影響を受けた文学を探っているうちにジャック・ケルアックを知り、ビート・ジェネレーションに傾倒。15の時の3大ヒーローはボブ・ディラン、J・D・サリンジャー、ジャック・ケルアックだったという。高校2年になってようやく音楽部に入部、ピアノを始める。この頃、吉祥寺の「ジョージ組」なるバイク集団に所属[8]、この時期に無謀運転で2回交通事故を起こしている[9]。高校3年の7月、実家の引っ越しに同行せず一人暮らしを始め、夏休みに横浜で出会ったモダン・ダンサーに強い影響を受ける[8]。同年12月、音楽部が母体のバンド「バックレイン元春セクション」を結成。結成当時は5人編成だったが、まもなく同級生の妹であるMANNAが加入し、6人編成になる[8]

なお、学生時代に制作された楽曲のいくつかは[注 2]プロになってから正式に発表されている。

1974年4月に立教大学社会学部に入学。バックレイン元春セクションの活動は続き、初夏にヤマハポピュラーソングコンテストに応募する際にホーンセクションが4人加入。ボーカル・ピアノ(佐野)、キーボード(MANNA)、ツインギター、ドラム、ベース、ホーンセクションという10人編成の大所帯バンドになる[8]。ポプコンでは「Bye Bye C-Boy」を歌い杉真理らを抑えて関東・甲信越地区代表になるが10月の本選会では無冠で、同時にバンドの維持が不可能になったために解散(一説には主催者を誹謗する発言をしたためにノミネートから外されたと言われている)。同年11月に慶應義塾大学の学園祭のミニコンサートに出演した際に知り合った佐藤奈々子に、ボブ・ディランを聴かせるなどの音楽的教育を施す。この時期に全くの別メンバーでバックレイン元春セクションを再度立ち上げようとしたが、ハイ・ファイ・セットにドラムとベースを引き抜かれた[8]ことをきっかけに自然消滅し、翌1975年冬からは佐藤と共に音楽活動を始める。同年末に佐藤が大学主催の女性シンガーソングライターのコンテストに出場した際に「綱渡り」という曲を共作し、翌1976年3月に優秀賞を受賞[10]。同年秋に佐藤のデビューが決まってからは自身の音楽活動を行う[8]。1977年、佐藤奈々子のアルバム『Funny Walkin'』、『Sweet Swingin'』にも参加。この時期に佐藤の所属事務所の紹介で小坂忠と知り合い、CM音楽の録音などを手伝う[8]

1978年に当時使用していたスタジオのエンジニアの勧めで、再びヤマハポピュラーソングコンテストに出場。「Do What You Like-勝手にしなよ」を歌い、関東・甲信越地区代表になり、5月の本選会では優秀曲賞を受賞。しかし、数あるデビューの誘いを断って、生活費・学費を稼ぐため広告代理店に就職を決める。1979年に立教大学を卒業。会社員時代は真野響子のラジオ番組の制作などを担当。1979年秋、アメリカに取材旅行に出向き現地のアーティストらにインタビューを行う。サンフランシスコで出会ったミュージシャンとの交流するなかで「自分は何者になりたかったのか」と自問自答し、再びミュージシャンになることを志す。そして帰国直後に退社[11]。以前から佐野の才能を認め、プロデビューを促していたEPIC・ソニーのプロデューサー小坂洋二の勧誘を受諾してデビューが決まる。同年末にヤングジャパンと契約。

デビュー直後

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1980年2月からレコーディングに入り、そこで伊藤銀次と知り合う。同年3月21日にシングル「アンジェリーナ」(EPIC・ソニー)でデビュー。同年4月7日から始まった音楽番組『ファイティング80's』(TVK)のレギュラーに抜擢される(デビュー後の初ライブはこの番組で、日本電子工学院ホールにて収録)。同年4月21日にアルバム『BACK TO THE STREET』を発表。6月から横浜舶来屋で定期的に、7月からルイードで月一で『ファイティング80's』のバックバンドとともにライブを始める。8月にマネージャーが交代したことを機に、ヤングジャパン所属ミュージシャンの前座(アリス岸田智史ばんばひろふみなど)の仕事が増える[8]。10月6日のワンマン・コンサート(横浜教育会館)の打ち合わせの際にバックバンドの名前を「THE HEARTLAND」に決定[8]。同年末に沢田研二のアルバム『G.S.I LOVE YOU』に楽曲提供したことを皮切りに他ミュージシャンへの楽曲提供も幅広く行うようになる[8]

1981年4月から『サウンドストリート』(NHK-FM)の月曜日担当になり、同番組の枠で『元春レイディオ・ショー』を開始。同年6月にシングル「SOMEDAY」を発表。同時期に伊藤を通じて交流を始めることとなる大瀧詠一に引き立てられ、大瀧のプロジェクト「ナイアガラ・トライアングル」に杉真理とともに参加。自らのアルバムと『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』のレコーディングを並行して制作。同年11月には大瀧の「ヘッドフォンコンサート」(渋谷公会堂)に参加、ナイアガラとの交流を深めた。

初期三部作の完成と方向転換

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BACK TO THE STREET』『Heart Beat』と2枚のアルバムを発表していたが、セールスには結びつかなかった。しかし、ラジオDJとしてあるいはライブパフォーマンスの凄いロックミュージシャンとして、徐々にファンが付くようになり、アルバム『SOMEDAY』を1982年5月に発表。レコーディング・エンジニア吉野金次を迎え、フィル・スペクター並みのウォール・オブ・サウンドを導入したことで、シングルでは注目されていなかった「SOMEDAY」が注目を浴びるようになり、アルバム『SOMEDAY』はオリコンアルバムチャートで最高位4位を記録。

前ツアーからほとんど間を開けず、1982年9月から1983年3月までコンサートツアー『Rock & Roll Night Tour』を全40ヶ所で行い全国的に成功を収める。ホールクラスで行われた同ツアーは軒並みソールドアウトを記録。このツアーを観た吉川晃司尾崎豊は感銘を受けたと後に語っている[12]。ツアーの最終公演である東京・中野サンプラザのステージで、ニューヨーク行きを発表。渡米直前に編集盤『No Damage (14のありふれたチャイム達)』がオリコンで1位を記録し、佐野元春ブームが起きる中で同年5月に渡米。

プロデューサーやマネージャーの仕事(アルバムのレコーディングの手配やスケジュール管理など)を全て自ら行った。また、弁護士を雇い、音楽ビジネスについて一から学んだとしている[13]。渡米直前の『新譜ジャーナル』のインタビューでは「同時代の世界中のアーティストと同じ呼吸をしたい」「ニューヨークにいる期間は未定です。ヴァイブレーションが合えばいますし、合わなければすぐに帰ってきます」と述べている[14]

ニューヨークでアパート暮らしをしながら、クラブシーンのミュージシャンや前衛の映像作家などと交遊関係を築き、現地のミュージシャンとともにラップを取り入れながらもそれを換骨奪胎した「新しいサウンド」で新曲をレコーディングし、アルバム『VISITORS』を製作。完成の達成感からか帰国してからも長い間状態に悩まされたという。

1984年4月にアルバム『VISITORS』の先行シングルとして「TONIGHT」を7インチ・シングル盤と12インチ・シングル盤で同時発売し、売上で12インチ・シングル盤が上回った。これ以後、邦楽における12インチ・シングル盤がブームとなった[15]

同年5月にアルバム『VISITORS』を発表し、翌6月に帰国。数曲でラップを取り入れたことや、前作までのナイアガラ系に通じるサウンドから一変したことで、賛否両論が巻き起こったものの、オリコンで1位を記録する。メジャーレーベル系ミュージシャンとしては初の日本語によるラップCOMPLICATION SHAKEDOWN」のMVは、前衛映像作家のジョン・サンボーンが担当するものの、ラディカルすぎるという判断で20年近く[注 3]お蔵入りすることになった。また、全国70カ所におよぶコンサートツアー『VISITORS TOUR '84〜'85』では、ナム・ジュン・パイクの影響でTVモニターを何十台も積み重ねて不規則な映像を流すなど、アバンギャルドなステージを展開。コンサートの形態にも新たな試みを取り入れた。同年11月、松田聖子の「ハートのイアリング」をHolland Rose[注 4]名義で作曲した。

初のトップ10ヒット『Young Bloods』

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1985年2月に国際青年年のテーマ曲として「Young Bloods」を発表。佐野自身初のトップ10ヒットとなり、同曲の印税はアフリカ難民救済のチャリティーとして寄付された。同年6月に行われた「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」にも出演。サザンオールスターズと共にセッションを行い話題となる[16]。5月にはエレクトリックサウンドにのせた自作詩の朗読(スポークン・ワード)と詩集・写真集・ストリートアートなどが複合的にミックスされたカセットブック作品『ELECTRIC GARDEN』を小学館から発表。収録曲「リアルな現実 本気の現実」は3分弱に編集されシングルカットされた。続く7月には、ライヴエイドに日本代表として参加。アフリカの飢餓状況を映した映像とライブでの演奏シーンをミックスした「Shame─君を汚したのは誰」が、歌詞の英語訳テロップと共に世界に発信された。

『M's Factory』の設立

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1986年、これまで培ってきた音楽制作やビジネスのノウハウを元にして自由な表現フィールドを獲得するために、自身によるレーベル「M's Factory」を発足。責任編集の季刊誌「THIS」を扶桑社より発刊するなど多岐にわたるメディア活動を展開。また、ライブ活動においても、東京・日本青年館で月に一度のペースで定期ライブを行う「Tokyo Monthly」を開催。チケット申し込みの電話回線がパンクする事件がおきるほどの人気を博す。当時は次作アルバムの制作中ということもあり、レコーディング前の未発表曲を演奏するなどのアクションも頻繁に行われた。

UKムーブメントへの接近

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1986年12月には、先に発表されていた「Young Bloods」「CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて-」を含むアルバム『Café Bohemia』を発売。アルバムに先駆けてシングル発売され、チャートトップ10入りを果たしていた「WILD HEARTS -冒険者たち-」「STRANGE DAYS -奇妙な日々-」なども収録。イギリスフランスを旅しながら作られた楽曲群は、ジャズソウルスカレゲエなどの多彩なリズムが採り入れられている。これは当時イギリスでムーブメントとなっていた、ブラックミュージック第三世界の音楽をUKポップ音楽に融合させたアプローチであり、この流れを主導していたロンドンレコーディング・エンジニアアラン・ウインスタンレイを起用している。

『Café Bohemia』のリリースと前後して、10月から翌年9月までの約1年間で約80公演にも及ぶ「Café Bohemia Meeting」と題された全国ツアーを決行。ストレートなロックンロールから、複雑なポリリズムによるダンスサウンド、ソウルフルな演奏が披露され、THE HEARTLANDの演奏力が確立することになる。1987年9月に初の単独スタジアムライブが横浜スタジアムで行われ、この日の演奏を収録したライブ・アルバム『HEARTLAND』(オリコン1位を記録)が、1988年4月に発表された。

この頃に国内で大きな議論となっていた原子力発電所の建設問題について、自身のラジオ番組「AJIスーパーミクスチャー」で特集を組む予定が、地方局からクレームが来て頓挫。急遽シングル「警告どおり 計画どおり」を1988年8月に発表。一方、同番組内で、M'sFactoryのレーベルの主催者として、自身の偽名ユニット「ブルーベルズ」やTHE HEARTLANDの別名義のバンド、インディペンデントで活躍するアーティストのプロデュース活動も開始。最終的にはコンピレーション・アルバム『mf Various Artists Vol.1』としてまとめ、1989年8月に発表となった。

1988年、次作のアルバム制作をスタート。初期段階ではTHE HEARTLANDとのレコーディング作業を重ね、ラディカルなロックサウンドが最終形に近い形で完成していく。しかし、より明快かつポップなサウンドを求め、それまでのセッションを白紙に戻して単身渡英。エルヴィス・コステロなどを手がけたプロデューサーであるコリン・フェアリーを陣頭指揮とし、ブリンズレー・シュウォーツ、アトラクションズ、ピート・トーマス等、UKパブロック周辺のミュージシャンとレコーディングセッションを開始する。

こうしたセッションを経て、先行シングルとなった「約束の橋」や、「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」、「ジュジュ」などを収録したアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』が完成。1989年6月にリリースされる。サウンド面では、伝統的なUKロックと、オリエンタリズムが融合。60年代のF-Beatサウンド的な疾走感をもつタイトル曲から始まり、アフリカンビートやスキッフル、シャッフル、ロックンロールといった様々なリズムが取り入れられている。詩においてはそれまでの英語やカタカナ語でビートにアクセントをつけていく、いわゆる「佐野元春文体」とは一線を画すものとなっている。啓示的な内容をもつ現代詩を元に、カタカナ語を廃し、語数も少ない。抽象的かつ象徴的な言葉の組み合わせによってイメージを聞き手に喚起させる手法は、佐野元春の作品におけるひとつのターニングポイントとなった。

本作のプロモーションツアーである「ナポレオンフィッシュ・ツアー」を1989年6月から12月まで決行。ステージ背景には荒涼とした砂漠の写真が映し出され、そうした映像を背にして、これまでのキャリアの中でもっとも攻撃的な演奏を展開した。二度目となる横浜スタジアムでのライブを間に挟み、年末まで続けられた本ツアーの最終公演のステージ背景には「Good by 80's, so don't look back」と記されていた。

デビューから10年目となった1990年には今までのシングル曲とカップリング曲の一部を収録した「Moto Singles」を5月に発売。並行して新作アルバムの制作をスタートさせ、佐野元春 with THE HEARTLAND名義としては『Café Bohemia』に続く2枚目となる『Time Out!』を11月にリリースした。アルバムタイトルが示すとおり、過去作品に見られる大上段から振りかざすような音楽のダイナミズムは一旦休憩となり、全面アナログレコーディングと、少数編成のバンドサウンドを核とした素朴な音作りの曲が並んだ。詩も「街に暮らす少年少女」が成長した様子を平易な言葉を選んで描きながらも、時代が狂乱のあとで疲弊していく様子を見つめながら「家に帰ろう」(収録曲「空よりも高く」より)と歌う。

『Time Out!』のプロモーションツアーの最終公演である大阪フェスティバルホールでは、ステージにオノ・ヨーコと子息のショーン・レノンが登場。ジョン・レノンの生誕50周年を記念したイベント『グリーニング・オブ・ザ・ワールド』(G・O・W)の趣旨に賛同して、佐野が作詞・作曲し、三人でレコーディングした「エイジアン・フラワーズ」をステージで披露した。なお、東京ドームで開催された『グリーニング・オブ・ザ・ワールド』でも共演を果たしている。

1991年、過去のバラードの再アレンジも含めたアルバム『Slow Songs』発売。その一方で、佐野が「空白の一年」と呼ぶように、この時期はしばらく音楽活動から離れている。また、同年の10月には自身の父が他界している[17]。その後、新作レコーディングをスタートする前に、ノンプロモーショナルな全国ツアーとして「See Far Miles Tour PartI」を1992年1月から4月まで決行。オーディエンスとのコール&レスポンスを通じてスランプを断ち切ったという。

『Sweet16』、『The Circle』

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1992年には、2年ぶりのオリジナル・アルバム『Sweet16』を発売。このアルバムは第34回日本レコード大賞の優秀アルバム賞を受賞した。また『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』収録の「約束の橋」がドラマ「二十歳の約束」の主題歌に選ばれたことから、カップリングに「Sweet16」を伴って再リリース、オリコン4位を記録。「VISITORS」以降「約束の橋」を含む『No Damage II』も12月にリリースされる。『Sweet16』を携えての全国ツアー「See Far Miles Tour PartII」が1992年9月から翌年1月まで行われた。

さらに、1993年11月には、アルバム『The Circle』がリリースされる。これは前作『Sweet16』と、音楽的にも感情的にも表裏一体となるもので、ソウルゴスペルリズム&ブルース色が色濃い作品となっている。なお、収録曲「レインガール」は、1995年にトヨタ・カルディナCMソングに使用され、佐野自身もCMに登場した。シングル「彼女の隣人」はローソンのCMソングに使用された。「彼女の隣人」発売前に父親が亡くなる。

THE HEARTLANDの解散

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1993年12月から1994年4月まで「The Circle Tour」が行われる。このツアーに先立ち、1993年10月には東京・渋谷公園通りで突然のシークレットライブを決行。その後も学園祭でのライブや「Act Against Aids '93」でのステージアクトをこなすなど、さまざまな規模のライブ活動が行われた。このツアー中の1994年4月、バンドの解散が発表された。同年9月に解散ライブ「Land Ho!」を、所縁の地である横浜スタジアムで行う。同年10月に自身の母ががんで亡くなる[18]

1995年3月、バンド解散後初めて、阪神・淡路大震災被災者チャリティ・コンサートに出演。誕生日である3月13日にはインターネット時代の本格到来に先駆けて国内初のアーティスト公式サイトMoto's Web Server」を開設。ファン有志によって作られたこのWebサイトは、オフィシャル・ファンサイトとして、現在もボランティア・スタッフにより運営されている。

1996年には、新しいバンドやアーティストとのコラボレーション活動も積極的に展開している。8月には佐野が主催するロック・イベント「THIS!」を東京・赤坂BLITZで開催。1996年から1998年まで3回開催されたこのイベントは、優秀な新人のショーケース・ライブとして、山崎まさよしDragon AshTRICERATOPSCoccoなど後に第一線で活躍することになるミュージシャン・バンドが多数出演。また、トリビュート・アルバムブームの先駆けとも言うべき佐野のトリビュート・アルバム『BORDER』が発売。これは佐藤奈々子が企画したもので、彼女の呼びかけに応えたザ・グルーヴァーズ川村かおりGREAT3ヒートウェイヴプレイグスらが参加。それぞれ佐野楽曲の新解釈を披露している。

The Hobo King Bandの結成

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新作のレコーディング作業を続けていたこの時期、レコーディングセッションを通じ集まったメンバーによる佐野の新バンド「INTERNATIONAL HOBO KING BAND」(その後何度か改名の後、最終的に「The Hobo King Band」という名称になった)を結成。1996年1月に「INTERNATIONAL HOBO KING TOUR」が行われ、7月にはTHE HEARTLAND解散後初のアルバムとなる『FRUITS』をリリース。それまでのオリジナル・アルバムの中で最も多い収録曲数となる全17曲は、もともと指向が広い佐野の音楽性に彩られながら、いずれも2分から3分のポップソングとなっている。THE HEARTLAND解散後の新しいスタイルが早くも提示された。また、このアルバムはミュージック・マガジン誌で年間ベストアルバムNo.1に選出されるなど、現在も評価の高い作品である。

1996年9月から年末にかけ、The Hobo King Bandとともに全国ツアー「Fruits Tour」を行う。さらに12月には日本武道館大阪城ホール横浜アリーナというアリーナクラスの会場で「Fruits Punch」を敢行。中でも特筆すべき点として、日本武道館では国内初のインターネット・ライブ中継を実施した。

「FRUITS」プロジェクトを終えた佐野とThe Hobo King Bandは、さらに音楽的結束を固めるため1997年夏に渡米。ザ・バンドジャニス・ジョプリンの出世作を手かげたプロデューサーであるジョン・サイモンを迎え、ウッドストックにてアルバム『THE BARN』を製作。1997年12月にリリースした。

アルバム・タイトル「Barn」が示すとおり、アルバム制作はウッドストックのベアズビルにある納屋を改造したスタジオに住み込み状態でレコーディングが進められるという、ウッドストックのマナーに沿ったものであった。近くに住むガース・ハドソン(ザ・バンド)、ジョン・セバスチャン(The Lovin' Spoonful)、エリック・ワイズバーグらがスタジオに訪れてはセッションに参加した。アルバムは、その完成度もさることながら、アメリカン・ロックに対するリスペクトの念に溢れたものであり、また1990年代後半に台頭してきたオルタナティブ・カントリーという新しい流れに呼応した姿勢は、音楽評論家筋から高く評価されることになった。アルバム収録曲である「Doctor」と「どこにでもいる娘」は、製作期間中に不慮の事故で自身の妹が亡くなった事に関連している[19]

翌年初頭である1998年1月から4月にかけて「The Barn Tour」を行う。中でも3月29日に行われた大阪フェスティバルホールでのライブでは、この日のためにジョン・サイモンとガース・ハドソンが来日し、サイモンはタンバリンで、ハドソンはアコーディオンで演奏に参加した。また、ステージ袖で佐野のパフォーマンスを見ていたサイモンは、ステージ上にあるプロンプターに「Elvis loves you」というメッセージを演奏中の佐野に贈ったという。

デビュー20周年

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デビュー20周年を目前とした1999年、佐野は「どうしても20周年前に一枚アルバムを作っておきたかった」という思いから、プライベート・スタジオを作り、MacPro Toolsを核としたデジタルレコーディングシステムを構築。そこでさまざまな楽曲のレコーディングを始める。

こうして出来上がっていった作品群が結実したアルバム『Stones and Eggs』を1999年8月にリリース。ほぼすべての楽器演奏やプログラミングを自身で行った。一方、詩の面では、次第に混乱していくこの国の現実と、その中でサバイバルする人々を表現した作品が増えた。この視点は後の『THE SUN』『COYOTE』に脈々と繋がっていく。また「GO4 Impact」ではDragon Ash降谷建志とコラボレーションした。

同年8月には、国内初の有料インターネットライブ「The Underground Live」を開催。まだナローバンド回線だった時代にアンプラグドライブをThe Hobo King Bandと共に演奏された。なお、この模様は当時開局したばかりのCS局「Viewsic」(現・MUSIC ON! TV)にても生中継された(ただし、途中で放送が打ち切られた)。

続く12月には、ファンへの感謝を込めたメッセージ曲「INNOCENT」がソニー・ミュージックエンタテインメントより国内初の有料音楽ダウンロードとして販売。数年後に活発化する音楽のネット販売を見据えたアクションとして注目を集めた。

デビュー20周年となる2000年は、それまでの活動を総括する作品が多くリリースされた。まず1月には、それまでの代表曲32曲をリミキシングリマスタリングしたアルバム『The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music』がリリースされ、1月から3月までは20周年記念の「The 20th Anniversary Tour」をBLACK BOTTOM BRASS BANDと共に全国で9公演行う。9月には主要なクラブミックス、ダンスミックス・ヴァージョンを集めたコンピレーション・アルバム『Club Mix Cllection 1984-1999』をリリース。続く11月には、コンピレーション・アルバム『GRASS 〜The 20th Anniversary Edition's 2nd〜』をリリース。さらに12月にはスポークン・ワード作品を集めた編集版『Spoken Words Collected Poems 1985-2000』を発売した。

また、初期の主要作品を発表してから20周年にあたる年に、20周年記念盤をリリースするというアクションも行われている。2002年5月にはアルバム『SOMEDAY』の発売20周年を記念した『Someday Collector's Edition』を発売。デモトラックなど未発表音源と当時の詳細な資料がパッケージされた。その後も80年代に発表した重要なアルバムである『VISITORS』『Café Bohemia』『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』がそれぞれ20周年記念盤としてリリースされ、ニューヨークで制作された「COMPLICATION SHAKEDOWN」の未発表MVや、『Café Bohemia』制作時に訪れたパリでのプライベートフィルム、横浜スタジアムで行われた「ナポレオンフィッシュツアー」の模様など、その時々の貴重な映像がDVDの形で収録されている。

新たな変革期

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2001年、21世紀最初の作品となるべく新作のレコーディングをThe Hobo King Bandとスタートする。バンドにはザ・ハートランド時代からの旧友、古田たかしがドラムで、サックスに山本拓夫がサックスで参加。レコーディングの模様は逐一「Moto's Web Server」でレポートされていった。

2001年3月、坂本龍一の呼びかけの元、地雷廃絶を訴えるキャンペーンに参加し、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。坂本による地雷除去のためのチャリティーソングZERO LANDMINEの制作にも参加する。

5月に非営利組織「Naked Eyes Foundation」を設立。団体の理念を「個人的な社会貢献活動を支援する非営利組織」とし自身の活動による収益一部を社会貢献に還元するものである。実際に自身の活動から経た収益を子供の貧困問題の解決に向けた救援金、湾岸戦争以降白血病がんの子供が増えたイラクの医療への支援金、アフガニスタン紛争イラク戦争で傷ついた子供たちのための救援金、スマトラ島沖地震新潟県中越地震東日本大震災といった自然災害への義援金として寄付した実績を持っている[20][21]

9月11日、アメリカ同時多発テロを受け、すぐさま「光 - The Light」を書き下ろす。祈りと慈悲と癒しが交差するこの曲は、プライベートスタジオで多重録音され、ラフミックス後すぐにMoto's Web ServerからMP3無料ダウンロードで ネット配信 された。この動きに異を唱えた所属レコード会社との交渉の末、9月18日〜30日までの期間限定配信となったが、一週間で約10万ダウンロードされることとなった。9月21・22日には、井上鑑らとスポークン・ワーズライブ「In motion 2001 - 植民地の夜は更けて」を鎌倉芸術館で行う。そのとき、観客を前に「光 - The Light」を演奏した。この曲は戦後60年を迎えた2005年8月17日に改めて有料配信され、収益を前述の通り寄付している[22]

『Daisy Music』設立へ

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2003年には、デビュー以来所属していたレーベルある、エピックレコードジャパンの25周年記念イベント「LIVE EPIC 25」に参加するも、CCCD問題などでレーベルと対立が発生。翌年2004年6月にはエピックレコードを離れ、自主レーベル『Daisy Music』を発足する。原盤制作および管理は自主レーベルで行い、宣伝と流通はメジャーレコード会社であるユニバーサルミュージックに委託するという、世界的に進むアーティスト主体のメジャーインディペンデントな考えを実践したレーベル形態となっている。

2004年7月21日には、Daisy Musicからの第一弾アルバムとなる『THE SUN』が、4年半ぶりの新譜としてリリースされる。曲毎にさまざまな人物の視点で描かれた短編集のような作りになっている。そしてそれらはすべて「2004年の日本」を生きる人々の歌であり、自由の追求、「連帯」がもつ陰と陽の部分、そして夢を見る力をもつことの尊さが歌われている。

2004年10月から2005年にかけて全国30公演で行われた「THE SUN TOUR 2004-2005」を行う。二部構成のステージとなったこのツアーは、The Hobo King Bandに古田たかし(Dr.)と山本拓夫(Sax)が加わったことで、第一部の佐野元春クラシックではThe Heartland時代からお馴染みのライブアレンジが次々と再現され、続く第二部ではアルバム『THE SUN』がディテールを含めてライブで再現された。スィングしながら縦横無尽に演奏を繰り広げるジャムバンド的な側面も色濃くなり、現在まで続くThe Hobo King Bandのバンドサウンドが確立されたツアーとなった。

2005年夏には「ap bank fes '05」や埼玉県狭山市で開催された「ハイド・パーク・ミュージック・フェスティバル2005」など音楽フェスティバルに意欲的に参加。また、この年に日本上陸となったiTunes Storeへ、インディペンデントレーベルとして最初の参加表明をするなど、インターネット時代のレーベルとしてその基盤を着実に整備していった。

『COYOTE』の誕生

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2005年9月から新作のレコーディング作業を開始する。バンドは盟友The Hobo King Bandではなく、ノーナ・リーヴスの小松シゲル(Dr.)、GREAT3の高桑圭(Bass)、Mellowheadの深沼元昭(G.)という、佐野元春の音楽を聴き続けてきた若い世代のミュージシャンとのレコーディングセッションが続けられた。その最初の成果として2005年12月に3トラックEP『星の下 路の上』がリリースされる。こうした世代を超えたミュージシャンやソングライター同士の連帯は、翌年のポッドキャスト番組「MUSIC UNITED」を経て、深沼元昭、山口洋(ヒートウェイヴ)、藤井一彦(ザ・グルーヴァーズ)の三人がボーカルとして参加した音楽プロジェクト「MusicUnited.」にまで発展していく。

新作レコーディングを続ける一方、全国ツアーも精力的に展開。The Hobo King Bandに女性コーラスグループ「T.T.Sisters」を加え、2006年1月から4月まで全国ツアー「星の下 路の上」を全13公演行う。千秋楽となった東京国際フォーラムの公演では3時間以上に及ぶステージを披露、その模様は2枚組DVD「TOUR2006 星の下 路の上」にてノーカット完全版として発表。同年11月には「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2006」に出演し、ザ・ビートルズの「カム・トゥゲザー」を演奏。年末には音楽雑誌「ロッキング・オン」の主催する音楽イベント「COUNTDOWN JAPAN 06/07」に出演した。

2007年も新作レコーディングと並行して「札幌市民会館 最後の日」や東京・新宿コマ劇場での「サンボマスター vs 佐野元春」で演奏するなど、精力的な活動が続けられた。6月には新レーベル体制になってから2作目となるフルアルバム『COYOTE』が発表される。前作『THE SUN』で見せた、さまざまな登場人物の喜怒哀楽をスケッチする手法から大きく転換し、「コヨーテ」と呼ばれるアウトロー的な男の視点で描かれた「架空のロードムービーサウンドトラック」というコンセプト・アルバムとなっている。収録された全12曲はいずれも、ビート・ジェネレーション的であり、サウンドの面でも今までの佐野元春作品とは違った形の現代性を持っている。特にタイトルトラックである「コヨーテ、海へ」という7分にも及ぶロックバラッドは、一定の評価を得た。

この「コヨーテ」というコンセプトはアルバムだけに留まらず、それまでのスポークン・ワード作品をすべて集めたボックス・セットBEATITUDE』、佐野元春の言葉と音楽について纏めた書籍「ビートニクス - コヨーテ、荒れ地を往く」でも共通のコンセプトとなっている。

デビュー30周年に向けた動き

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新作アルバムを発表した直後には必ずアルバムプロモーションのツアーを行っていたが、『COYOTE』リリース後に同作品を主体にしたツアーは行われず、2008年1月から3月までThe Hobo King Bandと共に全国22カ所を回るツアー「Sweet Soul Blue Beat」が行われた。最近では演奏されなくなっていた80年代のレア曲やライブ定番曲、そしてThe Hobo King Band結成以降の楽曲から構成され、いずれの公演も3時間にも及ぶステージが展開された。

一方、母校である立教大学文学部客員講師として、詩作などに関する講義「文学講義412〜詩創作論2〜」を受け持つ。この活動は現在も形を変えて続けられており、70年代から活躍する国内のソングライターを招いて、それぞれの創作の核心に迫るというオープン講座が定期的に開催されている。

2009年3月31日には、佐野元春の主たる活動のひとつであるラジオDJがNHK-FMで復活。かつての「サウンドストリート」時代のサブタイトルであった「元春レイディオ・ショー」と銘打たれた音楽番組は、「サウンドストリート」時代から数えて実に22年ぶりとなる。2009年7月から9月,2010年7月から9月にかけては、NHK Eテレにおいて、毎回ソングライターたちをゲストに招いて、主に「歌詞」についてトークしていくテレビ番組『佐野元春のザ・ソングライターズ』を企画・出演。

デビュー30周年アニバーサリー活動

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2010年の3月に東京と大阪のライブハウスで、「アンジェリーナの日」と題されたライブイベントが開催。これをきっかけに、デビュー30周年の数々のアクションが提示されることになる。同年8月には初のスポークン・ワーズツアー「in motion 2010 僕が旅に出る理由」を全国5ヶ所で開催。「佐野元春のザ・ソングライターズ 2nd Season」がNHK Eテレにて放送される。続く9月にはベスト・アルバム『ベリー・ベスト・オブ・佐野元春 「ソウルボーイへの伝言」』をリリース、翌10月からは、全国クラブハウスツアー「ソウルボーイへの伝言」を全国21ヶ所で開催する。「ソウルボーイへの伝言」初日の前日にはWOWOW主催のスペシャルライブ「佐野元春30周年アニバーサリープレミアムライブ」も開催された。2011年1月3日には佐野のアルバム「コヨーテ」をBGMにした堤幸彦監督のロードムービー「コヨーテ、海へ」がWOWOWにて放送、同日には佐野の特番と、ビートを探求する番組も同時に放送された。1月からは大都市をめぐる「ALL FLOWERS IN TIME」ツアーが全国6ヶ所で開催、その合間にはセルフカバー・アルバム『月と専制君主』がリリースされる。3月に入り、ツアー・ファイナルを大阪で開催、大阪城ホールには佐野にゆかりのあるゲストが多数出演し、イベントを盛り上げた。大阪の後には東京ファイナルも控えていたが、東日本大震災の影響により公演が延期、一時は開催中止も視野に入れていたが、6月に振替公演が決定し、東京国際フォーラムでの2Days公演にて30周年アニバーサリーイベントを締めくくった。

2012年には、Facebookに佐野元春オフィシャル・ページを開設し、自身の活動や近況、世相を憂う文章などが綴られている。

揺るがぬ歩み、アフター30周年の活動

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デビュー30周年アニバーサリーツアーの最終公演から半年後の2012年12月にホットスタッフ・プロモーションのイベント「L'ULTIMO BACIO Anno 11」(ルルティモバーチョ アンノ11)にCOYOTE BANDとしてライブを行い、珍しい曲を中心にライブを敢行する。同バンドには新たにギタリスト藤田顕が加わり、深沼とのツインギター体制になる。このバンドで「COUNTDOWN JAPAN 12/13」にも出演。2012年になってから更にこのメンバーで新曲のレコーディングを開始する。2012年3月から5月にかけてはビルボードライブ東京と大阪で、The Hobo King Bandによるライブを開催。新曲「トーキョー・シック」を含む20曲程度をチェロを交えたオルタナティブな演奏でファンを驚かせる。同6月から7月にかけては、COYOTE BANDとともにクラブハウスツアー「Early Summer Tour」を開催。新曲2曲を含む珍しい曲のオンパレードでファンを喜ばせる。特にライブ初演奏となる「警告どおり 計画どおり」はファンから意外性を持って迎えられた。

11月7日、ソニーミュージック時代の楽曲がiTunes Storeで販売開始された。

12月1日の栃木県総合文化センターから2013年2月の東京国際フォーラム ホールA公演まで行われた「2012-2013 WINTER TOUR」では、6歳から18歳までのオーディエンスについてはチケット代金を全額キャッシュバックする「U18 for Free」という試みが行われる。

2013年12月30日に大瀧詠一解離性動脈瘤で死去。これを受け佐野は公式サイトで「日本の音楽界はひとつの大きな星を失った」「でもその星は空に昇って、ちょうど北極星のように僕らを照らす存在となった」という趣旨の追悼コメントを発表。2014年1月21日より、ラジオ番組「元春レイディオショー」(MRS)において大瀧関連の過去のアーカイブをもとに、故人の想い出を振り返る特集「ありがとう、大瀧さん」を4週にわたってオンエアした。

2014年9月21日、佐野が『VISITORS』を制作したニューヨークを再び訪れ、当時の制作スタッフたちとの再会した姿を映したドキュメンタリー『名盤ドキュメント 佐野元春“ヴィジターズ”〜NYからの衝撃作 30年目の告白〜』がNHK BSプレミアムにて放送される。

10月29日、アルバム『VISITORS』リリース30周年を記念しスペシャルエディション『VISITORS DELUXE EDITION』が発売。

伝承歌「君がいなくちゃ」発売・35周年アニバーサリー

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2015年3月4日には学生時代に制作され、かねてから一部で『伝承歌』として注目されていた[23]君がいなくちゃ」が正式に発表され[24]iTunesロックチャートで1位を獲得し[25]、年末には桑田佳祐にラジオ番組で絶賛されている[26]

同年には読売新聞社から要請を受けて制作されたCMソング「境界線」や[25]キヤノン「EOS 8000D」オリジナル連続Webドラマ「遠まわりしようよ、と少年が言った。」のために書き下ろした「私の人生」(翌年に配信限定で正式に発売されたEP「或る秋の日」の収録曲)[27]などのタイアップ付きの楽曲も発表された。

2015年9月29日から2016年3月22日まで、TBSラジオ番組『SOUND AVENUE 905』の枠で「元春レイディオショー」が半年限定で復活。2月16日放送分では佐野のファンを公言する爆笑問題が出演するなど、趣向を凝らした内容となった[28]

2015年12月5日の京都KBSホールから2016年3月27日の東京国際フォーラム ホールAでの公演まで「佐野元春35周年アニバーサリー・ツアー 佐野元春 & THE COYOTE GRAND ROCKESTRA」が開催される。最終日には松本人志[29]片寄明人[30]が観客としてこのライブに訪れた。

アフター35周年の活動

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2016年8月10日に東京国際フォーラム ホールAで開催された「THIS! 2016」では前年に成立した改正公職選挙法に伴い、選挙権年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられることになった事を祝し、18歳と19歳の者を対象に、開場前に受付窓口に行き、年齢を証明する身分証明書(免許証、学生証、保険証など)を提示することで、チケット代の8200円が無料になる「祝!18歳選挙権」という制度を導入。すでにチケットを購入済みの18歳と19歳の者は、当日受付窓口で料金が全額キャッシュバックされた。

2017年4月、ニューヨークを訪れアート・イヴェント『Not Yet Free』を開き、スポークン・ワーズを披露した。この模様は2017年5月28日にNHK BSプレミアムで「佐野元春ニューヨーク旅『Not Yet Free -何が俺たちを狂わせるのか』」と題して放送された[31]

『Daisy Music』の配給先移行、ソニーへ復帰

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2021年9月22日に、佐野の公式Facebookにて、自主レーベル『Daisy Music』の配給先をユニバーサルミュージックからソニー・ミュージックに移行したと発表した[32]。佐野は、ファンクラブ会報誌『Cafe Bohemia』のインタビューにて「契約書を取り交わしにソニー・ミュージックに行ってきた。エントランスでスタッフが歓迎し、入口にはWELCOME BACK, MOTOという看板が立て掛けられていた。突然のことで嬉しかった。思い返せば、僕はあの時代に翻弄されるように独立宣言をし、Daisy Musicを設立して以降、独立独歩でここまでやってきた。ソニーとの再会は良い運命だと思う」とコメントしている[32]

2022年3月、2021年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞したことが発表された[33]

2022年3月28日、4月8日に配信限定のオリジナルアルバム『ENTERTAINMENT!』が、7月6日にもう一枚のオリジナルアルバム『今、何処 (WHERE ARE YOU NOW)』がリリースされることが発表された[34][35]

2022年5月23日、「桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎」名義でチャリティソング「時代遅れのRock'n'Roll Band」をレコーディングし、本楽曲で同年12月31日放送の「第73回NHK紅白歌合戦」に初出演を果たした。

特徴・エピソード

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人物

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晩年の諏訪優と交流を持ち、アレン・ギンズバーググレゴリー・コルソーゲイリー・スナイダーにインタビューを行うなど、ビートニクスへの造詣が深い。2007年の著書『ビートニクス』は、ビート派の作家・詩人たちについての本であり、ジャック・ケルアックが旅した地を再訪した文章や前述したインタビューなどが収録されている。

海岸を散策していた時に佐野を遠くから見つめる野生動物に向かって「こっちへ来いよ」と呼びかけたことをダウンタウンに激しく突っ込まれ、1997年4月7日に同番組の特番「HEY! HEY! HEY! Music Award」に出演した際に「動物愛護賞」を授与された[36]。また、2009年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)で放送された「クイズ佐野元春の500のコト」に出演した際には、予測不能な回答を連発し、出演者を翻弄している[37]

水泳が趣味であり、週に2・3回、約1000メートル泳ぐという[38]

『Sweet16』は、1992年の日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞した。しかし、本人は同賞受賞から2年後にマネジメント事務所の隅にひっそりと置いてあったトロフィーを見て初めてその事実に気づいたという[39]

ベスト・アルバムTHE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004』リリース時点で父親と妹を亡くしている。

創作活動

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自身はロックンロールを作っており、どんなに難しい表現の曲を作ったとしても、常に15歳から25歳の聴き手に聴いてもらうことを考えているとし、「僕は大衆音楽を作る人ではないかもしれません」とした上で「でも、誰よりも大衆音楽を作りたいと願っているアーティストでもあるんです」と述べている[40]

また、自身の楽曲やアルバムの作り方について「「僕は悲しいので、こんな思いをみんな聴いて、同情して」みたいな曲は、僕は絶対に歌わない。“私の歌”、“僕の歌”というのは、一切書いてこなかった。“私”が主体じゃなくて、“私たち”が主体の音楽を上手く書けたらいいなと、ずっと思いながら続けてきました。本当のことを言うと、曲を書く時に、僕が個人的に言いたいことは、何もない」「その時代、その時代の、僕の新聞のようなもの」「曲のタイトルがヘッドライン」「僕の思いを入れない方が、上手くいくわけです」「自分の曲を歌って、自分自身がエキサイトするものでなければ、大抵は駄作だなって思っている。だいたい、僕なんかより、もっと感受性の強い人たちが聴いてくれているんだから、リスナーを絶対に見くびったりはしないし、いつも恐る恐る「大丈夫かな?」と思いながらソングライティングしています」「だから、客観的な表現になるんだろうね」「僕のような風来坊が考えていることなんて、どうでもいいことなんです(笑)」と述べている[40]

デビュー時からビートを重視した歌詞作りを心掛けており、「情けない週末」ではウィリアム・S・バロウズの技法が取り入れられており、意味を落とした単語の羅列だけで畳みかける箇所がある[41]。また、アルバム『VISITORS』ではヒップホップやラップが取り入れられている[41]

実体験に基づいて作詞しているのかと聞かれることもあるというが、本人によると「100%自分の事を歌った詩はひとつもない」といい、「そういう意味では自分は作家なんだなと思います」と述べている。事実、前述したとおり佐野の楽曲には学生時代に書かれた楽曲がプロになってから正式に発表されたケースも存在している[42]

発表の有無を問わず、午前中には楽器を弾いたり作詞・作曲をしているという。また、ストックは100曲以上に及ぶといい、曰く「インストゥルメンタルの曲だったら毎日できる。難しいのは言葉付きの音楽。言葉がないんだったら、いくらでも出てきます」という[43]

スポークン・ワーズ

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日本ではメイン・ストリームではあまり浸透していないスポークン・ワーズにも積極的に取り組んでおり、佐野は自身がスポークン・ワーズをやる理由を「パフォーマーがどの国籍に属していようと一定の理解が得られるはずだという確信のもと、それを試してみました」「僕は自分の母国の言葉に誇りをもっています。母国語でスポークンワーズすることが、自分にとってはとても大事です。原語の理解を超えて、他の文化圏の人に通じるものがあるはずだ、という確信がどこから生まれるかといえば、それは母国語に対する信頼にあると思います」[31]と述べている。

政治・社会とのかかわり

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政治的な事柄を取り上げる事については「ソングライターとして日々生きていますから、恋愛も政治も経済も社会的な何かも全てフラット。特にポリティカル(政治的)なことに集中して詞を書くなんて不自然なことはやっていません。普通に曲を書いていれば、そうしたところに触れてくるのは、僕の中では当然なことです」と述べている[44]。また、2020年10月8日の朝日新聞の記事の中では自己検閲を最大の敵として挙げている[41]

1995年1月22日、1月17日に発生した阪神・淡路大震災を受け、「先進国って何だろう」という詩を被災地で働くボランティアに向けて発表している[45]

2003年4月22日、日本武道館で開催された「アースデイ・コンサート」(TOKYO FM等、JFNに加盟する全国のFM各局に生放送)に出演した忌野清志郎が当初予定になかった「君が代」や「あこがれの北朝鮮」の替え歌(発売当時の金賢姫キム・ヘギョンに変更するなどした)などを歌い、会場を騒然とさせた。このイベントには佐野もゲストとして出演しており、忌野とのトークの際には、佐野が「自由に好きな曲が歌える国に生まれて、僕は幸せだと思うよ」という発言を行った[46]

2011年3月13日、2日前の3月11日に発生した東日本大震災を受け、自身のオフィシャルウェブサイトで、12・13日の公演休止の報告、日本赤十字社などの支援団体へのリンク先、震災直後の世間の動向への憂いを交えながら被災地の復興を願う内容の詩「それを「希望」と名づけよう」を掲載した。なお、上述の3月13日は佐野の55回目の誕生日であった[47]

2015年5月7日、自身のフェイスブックで「境界線」というタイトルで、自らが沖縄県辺野古を訪れて大浦湾で撮影した写真と、普天間基地移設問題を憂う内容の文章を掲載した[48]

ローリングストーン日本版』2016年10月号の企画で「SEALDsはなぜここまで嫌われたのか」とのテーマに対して、「SEALDsは嫌われたんじゃない、怖がられたんだ いつの時代でも、自由な存在を怖がる連中がいる」と、SEALDsの活動に対して理解を示し、好意的な立場を取っている[49]

2017年5月17日、自身のフェイスブックで「僕の蒼い鳥がそう言っている」というタイトルでスーザン・ソンタグの「良心の領界」の序文を引用しつつ、当時国会で議論されていたテロ等準備罪共謀罪)を疑問視する趣旨の文章を掲載した[50]

「霧の中のダライラマ」の曲名が示すとおり「チベット自由と人権の集い」に賛同者として名を連ねており、中国によるチベット侵略に抗議しチベット民族に対する人権侵害に反対しているという。

配信限定EP「Not Yet Free」の一曲目の「こだま-アメリカの友人、日本の友人に」の内容がドナルド・トランプ安倍晋三を批判しているのではと解釈されたことがあったが[51]、佐野はこれを否定している。

使用している・いたギター

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  • フェンダー・ストラトキャスター
    デビュー当時から使っている1973年製のストラトキャスター。カスタムカラーのレッドが印象的で、バックはバックルの傷がある。
    30周年ツアーのファイナルでも常時使用していた定番モデル。
  • フェンダー・ジャズマスター
    1960年製のジャズマスター。ドット・ネックのオールド・モデル。初期のロックンロール・ナイト・ツアー、ビジターズ・ツアーで使用していたが、一時期お目にかかることがなくなり、HKBのライブで復活している。
  • Gibson Custom shop Southern Jumbo [1]
    全世界で36本だけ限定生産されたアニバーサリー・モデル。ハイランダーのピエゾ・マイクが内蔵されている。
  • ギブソン・ES-335
    1972年製。「The Milk Jam Tour」や「星の下路の上ツアー」でも使用。
  • Gibson Byrdland
    ヴィジターズのライブ・ビデオのなかでも使用しているギター。ギブソン社のジャズ・ギターの代表機種のひとつ。
    通称フローレンタイン カッタウェイ(シャープド・カッタウェイ)と呼ばれているもので1960年から1968年までしか製造されていない貴重なもの。
  • Gretsch Rock Jet
    「The Burn」ツアーでも使用
  • Takamine NPT-115
    「See Far Miles Tour PartⅡ」ツアー[52]から「The Burn」ツアーまで使用されたギター。このギターはのちに『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)で放送された「クイズ佐野元春の500のコト」の中で、優勝賞品として田中直樹ココリコ)に贈呈され、長年保管され続けている。2022年秋に名盤ライブ「Sweet 16」が開催された際には一時的に佐野の元へ返還された[53][54]
  • Gretsch Duo Jet
    忌野清志郎を追悼するトリビュート・コンサート「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー 日本武道館 LOVE&Peace」に初出演した際に使っていたギターで、THE COYOTE BANDでも使用。

評価

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音楽性

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爆笑問題[28]、松本人志(ダウンタウン)[29]石橋貴明とんねるず[55]山口智充[56]スガシカオ[57]小川洋子[58]野茂英雄[59]マキタスポーツ[60]立川志らべ[61]武田真一[62]など幅広い著名人が佐野のファンであることを公言しており、佐野も彼らに対し分け隔てなく接している。『週刊SPA!』2011年3月15日号で対談をしたことがあるマキタスポーツは、自身のブログでその事を振り返り、佐野の「僕はどんなリーダーにも従わせない側にいたい、そのリーダー達が怖がるような存在でいたい」という発言を大好きであると述べ、「あんなアーティストに俺もなりたいよ。誤解も正当な評価も飲み込むような、大きいね」とまとめている[60]

株式会社ロッキング・オン社長の渋谷陽一は、ROCKIN'ON JAPANを刊行する際「第一号の表紙は絶対に佐野元春しかいないと思っていた」と語っている。一方で渋谷は、デビュー前の佐野に評論家の見地から苦言を呈してもいる[63]

佐野の存在は音楽界をも震撼させ、沢田研二のプロデューサーが佐野の才能に惚れ込み、楽曲提供を依頼するほどとなった[64]

同世代であり、1983年に『元春レイディオ・ショー』で共演して以来、渡米時のニューヨークの佐野の家を訪れたり文通などの交流を行っている桑田佳祐サザンオールスターズ)は佐野の才能を認めており[16]、2013年のAct Against AIDSイベント「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」で「SOMEDAY」をカバーしたり[65]、自身のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」で佐野の楽曲を取り上げたりしている[26]。また、佐野も桑田の才能を認めており、自身が司会を務めた「佐野元春のザ・ソングライターズ」で真っ先に桑田に出演オファーをしたが、その当時がちょうど桑田が食道がんで休養していた時期と重なったためにいまだに実現していないといったエピソードがある[66]

ヒートウェイヴの山口洋は、アイルランドヴァン・モリソンのライブを観るが、彼のツアーに同行しているはずの、もう一人のヒーロー・オルガン奏者のジョージィ・フェイムはそこに居なかった。なぜならば、佐野の楽曲製作のために日本にいたからなのだが、ヴァンのライブにトラを立ててまで参加すべき音楽なんて、日本にあるものか!と勝手に腹を立てたという。その後発売された佐野のアルバム『The Circle』に収録されている、ジョージィ・フェイムが参加した楽曲「君を連れてゆく」を聴いて、とても深い感銘を受けたという。”ヴァンのライブにトラを立ててまで参加すべき音楽が日本にはあったのだ”と…山口は佐野に手紙を書き、ヒートウェイヴのためのプロデュースを依頼した。その時製作されたアルバム『1995』には、佐野がプロデュースした「BRAND NEW DAY/WAY」と「オリオンへの道」が収録されている[67]

バラエティー番組

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とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の企画への関わり(とんねるずの生でダラダラいかせて!!#全盛期を参照)や前述した『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』への出演でも分かるようにバラエティーと佐野との親和性についても高く評価されている[37]。佐野もお笑いに対して理解と敬意を示している[68]

作品

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シングル

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 # タイトル 発売日
EPIC・ソニー
1st アンジェリーナ 1980年3月21日
2nd ガラスのジェネレーション 1980年10月21日
3rd Night Life 1981年2月25日
4th SOMEDAY 1981年6月21日
5th ダウンタウン・ボーイ 1981年10月21日
6th 彼女はデリケート 1982年3月21日
7th Sugartime 1982年4月21日
8th Happy Man 1982年8月25日
9th スターダスト・キッズ 1982年11月21日
10th グッドバイからはじめよう 1983年3月5日
11th TONIGHT 1984年4月21日
12th COMPLICATION SHAKEDOWN 1984年6月21日
13th VISITORS 1984年9月21日
14th NEW AGE 1984年11月21日
15th Young Bloods 1985年2月1日
16th リアルな現実 本気の現実 1985年6月21日
EPIC・ソニー / M's Factory
17th STRANGE DAYS -奇妙な日々- 1986年5月21日
18th SEASON IN THE SUN -夏草の誘い- 1986年7月21日
19th WILD HEARTS -冒険者たち- 1986年9月21日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory
20th ガラスのジェネレーション (LIVE) 1988年2月26日
21st 警告どおり 計画どおり 1988年8月18日
22nd 約束の橋 1989年4月21日
23rd ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 1989年8月21日
24th シティチャイルド 1989年10月8日
25th 雪―あぁ世界は美しい 1989年12月9日
26th ジャスミンガール 1990年10月1日
Epic Sony Records / M's Factory
27th ぼくは大人になった 1991年4月10日
28th また明日… 1992年1月22日
29th 誰かが君のドアを叩いている 1992年4月8日
30th 約束の橋/SWEET 16 1992年10月28日
31st 彼女の隣人/レインボー・イン・マイ・ソウル 1992年11月21日
32nd 十代の潜水生活/経験の唄 1995年11月1日
33rd 楽しい時 -Fun Time 1996年1月21日
34th ヤァ! ソウルボーイ 1996年5月22日
35th ヤング・フォーエバー -Young Forever- 1997年11月1日
36th Doctor 1998年4月22日
Epic Records / M's Factory
37th 僕は愚かな人類の子供だった 1999年3月1日
38th だいじょうぶ、と彼女は言った 1999年7月23日
39th INNOCENT 1999年12月20日
GO4 Records
40th TONIGHT [Live][注 5] 2003年2月10日
Epic Records / M's Factory
41st 君の魂 大事な魂 2003年12月17日
42nd 月夜を往け 2004年5月19日
Daisy Music
43rd 星の下 路の上[注 6] 2005年12月17日

12インチ・シングル

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 # タイトル 発売日
EPIC・ソニー
1st TONIGHT (Special Extended Club Mix) 1984年4月21日
2nd COMPLICATION SHAKEDOWN (Special Extended Club Mix) 1984年6月21日
3rd Young Bloods (Special Dance Mix) 1985年3月21日
4th CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて- 1985年11月21日
EPIC・ソニー / M's Factory
5th 99 BLUES-Extended Mix- 1987年6月3日
6th インディビジュアリスト-Extended Mix- 1987年11月21日

デュエット

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名義 タイトル 発売日
EPIC/SONY RECORDS
渡辺美里 佐野元春 Home Planet -地球こそ私の家 1990年8月22日
Victor Entertainment
佐野元春 & 雪村いづみ トーキョー・シック 2014年2月12日

配信限定シングル

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 # タイトル 発売日
Daisy Music
1st 光 -The Light 2005年8月17日
2nd 星の下 路の上 2005年11月16日
3rd 世界は誰の為に[注 7] 2007年4月18日
4th 君が気高い孤独なら 2007年5月30日
5th 月と専制君主 -Boys & Girls Version- 2011年1月12日
6th トーキョー・シック[注 8] 2012年5月9日
7th La Vita é Bella (ラ・ヴィータ・エ・ベラ) 2012年8月29日
8th 世界は慈悲を待っている[注 9] 2013年1月30日
9th みんなの願いかなう日まで 2013年12月4日
10th ラジオ・デイズ 2014年3月12日
11th 君がいなくちゃ 2015年3月4日
12th 境界線 2015年4月22日
13th 純恋(すみれ) 2017年6月30日
14th こんな夜には c/w 最新マシンを手にした子供達 2017年11月1日
15th 愛が分母 2019年8月14日
16th エンタテイメント! 2020年4月22日
17th 合言葉 - Save It for a Sunny Day 2020年10月30日
18th 街空ハ高ク晴レテ - City Boy Blue 2021年4月23日
19th 銀の月 2021年10月22日
20th クロエ 2022年7月6日
21st さよならメランコリア 2023年1月20日
22nd Youngbloods (New Recording 2024) 2024年6月5日

配信限定EP

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 # タイトル 発売日
Daisy Music
1st 或る秋の日 2016年11月11日
2nd Not Yet Free 2017年10月20日

オリジナル・アルバム

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 # タイトル 発売日
EPIC・ソニー
1st BACK TO THE STREET 1980年4月21日
2nd Heart Beat 1981年2月25日
3rd SOMEDAY 1982年5月21日
4th VISITORS 1984年5月21日
EPIC・ソニー / M's Factory
5th Café Bohemia 1986年12月1日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory
6th ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 1989年6月1日
7th Time Out! 1990年11月9日
Epic Sony Records / M's Factory
8th Sweet16 1992年7月22日
9th The Circle 1993年11月10日
10th FRUITS 1996年7月1日
11th THE BARN 1997年12月1日
Epic Records / M's Factory
12th Stones and Eggs 1999年8月25日
Daisy Music
13th THE SUN 2004年7月21日
14th COYOTE 2007年6月13日
15th ZOOEY 2013年3月13日
16th BLOOD MOON 2015年7月22日
17th MANIJU 2017年7月19日
18th 或る秋の日 2019年10月9日
19th ENTERTAINMENT! 2022年4月8日
20th 今、何処 (WHERE ARE YOU NOW) 2022年7月6日

ミニ・アルバム

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 # タイトル 発売日
Daisy Music
1st THE SUN STUDIO EDITION 2005年8月17日

ベスト・アルバム

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 # タイトル 発売日
EPIC・ソニー
1st No Damage (14のありふれたチャイム達) 1983年4月21日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory
2nd Moto Singles 1980-1989 1990年5月12日
Epic Sony Records
3rd Slow Songs 1991年8月28日
4th No Damage II (GREATEST HITS 84-92) 1992年12月9日
Epic Records / M's Factory
5th The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music 2000年1月21日
6th G*R*A*S*S 〜The 20th Anniversary Edition's 2nd〜 2000年11月22日
GO4 Records / Epic Records
7th Spoken Words Collected Poems 1985-2000 2000年12月18日
Epic Records
8th THE LEGEND - Early days of Motoharu Sano 2003年1月1日
Sony Music Direct / GT music
9th THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004 2006年7月12日
10th BEATITUDE Collected Poems and Vision 1985-2003 2007年9月12日
11th ベリー・ベスト・オブ・佐野元春「ソウルボーイへの伝言」 2010年9月29日
12th MOTOHARU SANO GREATEST SONGS COLLECTION 1980-2004 2020年10月7日
Daisy Music
13th THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005-2020 2020年10月7日[注 10]

ライブ・アルバム

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 # タイトル 発売日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory
1st HEARTLAND 1988年4月21日
Epic Sony Records / M's Factory
2nd THE GOLDEN RING Motoharu Sano with The Heartland Live 1983-1994 1994年8月26日
Epic Records / GO4 Records
3rd In motion 2001 - 植民地の夜は更けて 鎌倉芸術館ライブ 2001.9.21-22 2001年12月
4th in motion 2003 - 増幅 2004年5月28日
Daisy Music
5th THE SUN LIVE AT NHK HALL 2005年8月31日
6th MOTOHARU SANO & THE COYOTE GRAND ROCKESTRA LIVE AT 東京国際フォーラム 2017年5月31日
7th 2022 LIVE AT SENDAI, FUKUOKA, OSAKA 2022年11月18日
8th 佐野元春 & ザ・コヨーテ・バンド:ライブ「今、何処」東京国際フォーラム 2023 2024年3月6日

リミックス・アルバム

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 # タイトル 発売日
Epic Sony Records / M's Factory
1st Dance Expression of The Circle 1994年1月21日

セルフカバー・アルバム

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 # タイトル 発売日
Daisy Music
1st 月と専制君主 2011年1月26日
2nd 自由の岸辺 2018年5月23日

コンピレーション・アルバム

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 # タイトル 発売日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory
1st mf Various Artists Vol.1 1989年8月21日

企画盤

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 # タイトル 発売日
Epic Records / M's Factory
1st SOMEDAY Collector's Edition 2002年5月22日
2nd VISITORS 20th Anniversary Edition 2004年2月25日
Sony Music Direct / GT music
3rd The Essential Café Bohemia 2006年12月6日
4th ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 限定編集版 2008年6月4日
5th NO DAMAGE:DELUXE EDITION 2013年12月25日[注 11]
6th VISITORS:DELUXE EDITION 2014年10月29日
7th THE BARN DELUXE EDITION 2018年3月28日[注 12]
8th SWEET16 30th Anniversary Edition 2023年2月22日

カセット・ブック

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 # タイトル 発売日
小学館
1st ELECTRIC GARDEN 1985年5月25日
EPIC・ソニー / M's Factory
2nd ELECTRIC GARDEN#2 1986年7月31日

トリビュート・アルバム

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 # タイトル 発売日
PIONEER LDC
1st BORDER - A Tribute to Motoharu Sano - 1996年8月31日

映像作品

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 # タイトル 発売日
EPIC・ソニー
1st Truth '80〜'84 1984年12月1日
2nd Visitors Tour '84〜'85 1985年7月21日
EPIC/SONY RECORDS / M's Factory
3rd Café Bohemia Live! 1986-1987 1988年11月2日
4th THE OUT TAKES
5th MOTO CLIP VOL.1 1989年11月22日
6th ナポレオンフィッシュ・ツアー '89 〜自由への新しい航海〜 1990年4月8日
- ジャスミンガール (Video Single Disc) 1990年12月21日
7th LIVE <TIME OUT!> '90 1991年3月21日
Epic Sony Records / M's Factory
8th 1992 See Far Miles Tour part I 1992年10月21日
9th 1992-1993 See Far Miles Tour part II 1993年6月23日
10th Visual Expression of THE CIRCLE 1993年12月1日
11th They called the band 'THE HEARTLAND' 1995年1月21日
12th FRUITS 1996年7月1日
13th THE INTERNATIONAL HOBO KING BAND FEATURING MOTOHARU SANO IN FRUITS TOUR '96 1997年3月31日
Epic Records / M's Factory
14th THE BARN TOUR '98-LIVE IN OSAKA 1998年7月18日
Sony Music Entertainment
- デジタル・アートピース 僕は愚かな人類の子供だった 1999年2月15日[注 13]
Epic Records / M's Factory
15th The 20th Anniversary Tour 2000.3.11 日本武道館 2000年7月19日
16th MOTOHARU SANO LIVE ANTHOLOGY 1980-2000 2000年11月1日
17th in motion 2001 〜植民地の夜は更けて〜 2002年1月23日
18th PLUG & PLAY '02 2003年2月19日
M's Factory
- SELF LINER NOTES 佐野元春インタビュー 'THE SUN'を語る 2005年1月8日
Daisy Music
19th THE SUN LIVE and RECORDINGS 2005年6月22日
Sony Music Direct / GT music
20th THE VIDEOS EPIC YEARS 1980-2004 2006年7月12日
Daisy Music
21st 「星の下 路の上」 2006.4.2 LIVE AT 東京国際フォーラム / HALL A 2006年11月22日
22nd MOTOHARU SANO COYOTE 2009.7.26 LIVE at ZeppTokyo 2009年12月21日
23rd 佐野元春 30th Anniversary Tour ALL FLOWERS IN TIME 2011年12月14日
Sony Music Direct / GT music
23rd MOTOHARU SANO LIVE ANTHOLOGY 1980-2010 2012年4月25日
Daisy Music
24th ライブ・アット・東京国際フォーラム 2013.2.23 2013年12月22日
24th 35TH.ANNIVERSARY TOUR FINAL 2016年12月21日
Sony Music Direct / GT music
25th FILM NO DAMAGE 2018年10月24日
Daisy Music
26th 2018「MANIJU」ツアー・ファイナル = 東京ドームシティ・ホール 2018年12月26日
27th 'SMOKE & BLUE' 佐野元春&THE HOBO KING BAND BILLBOARD TOKYO LIVE 2019 2019年12月28日
28th 40TH.ANNIVERSARY 'YAH!' 2021年12月22日
29th 名盤ライブ「SOMEDAY」 2022年5月25日
30th 名盤ライブ「SWEET16」 2023年6月28日
31st 佐野元春 & ザ・コヨーテ・バンド:ライブ「今、何処」東京国際フォーラム 2023 2024年3月6日

ボックス・セット

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 # タイトル 発売日
Sony Music Direct / GT music
1st MOTOHARU SANO 1990-1999 ORIGINAL ALBUM REMASTERED 2009年12月21日
ユーキャン
2nd SOUND & VISION 1980-2010 2011年5月16日
Sony Music Direct / GT music
3rd MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004 2021年6月16日

タイアップ

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楽曲 タイアップ 時期
WONDERLAND <WALKMANのテーマ> SONYWALKMAN」CMソング 1982年
Young Bloods 国際青年年テーマソング 1985年
リアルな現実 本気の現実 朝日新聞社朝日新聞」CMソング
再び路上で CANON 一眼レフカメラ CMソング
SOMEDAY JR東海「ファイト!エクスプレス」CMソング[69] 1990年
コダック「SUPER Goldフィルム」CMソング
TBS系アニメ「新幹線変形ロボ シンカリオン」挿入歌[69] 2019年
恋する男 安田海上火災保険CMソング 1990年
Home Planet -地球こそ私の家 TBS系「宇宙プロジェクト」トータルテーマソング
また明日… TBS系「筑紫哲也 NEWS23」エンディングテーマ 1992年
誰かが君のドアを叩いている TDK カセットテープ「NEW SR60」CMソング
約束の橋 フジテレビ系ドラマ「二十歳の約束」主題歌
彼女の隣人 ローソン CMソング
レインガール トヨタ・カルディナ CMソング 1995年
経験の唄 住友生命「愛&愛」CMソング
楽しい時 -Fun Time テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」エンディングテーマ 1996年
だいじょうぶ、と彼女は言った フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」エンディングテーマ 1999年
SOMEDAY 亀田製菓「亀田の柿の種」CMソング(イントロ部分のみ) 2001年
夜空の果てまで NTT DoCoMoFOMAエリア「つながる」宣言篇』CMソング 2007年
La Vita é Bella トヨタ・マークX CMソング 2012年
彼女 東宝映画『劇場版 SPEC〜結〜 爻ノ篇』挿入歌 2013年
虹をつかむ人 WOWOWプライム ドラマ「配達されたい私たち」主題歌
夜空の果てまで NTT docomo『LTE「やるべきことはまだまだある」篇 』CMソング
境界線 読売新聞社読売新聞」CMソング 2015年
私の人生 キヤノン「EOS 8000D」オリジナル連続Webドラマ「遠まわりしようよ、と少年が言った。」主題歌[27]
新世界の夜 - Instrumental version 映画「眩暈 VERTIGO」主題曲 2022年
クロエ フジテレビ系ドラマ「月とケーキ」主題歌 2023年
僕にできることは フジテレビ系ドラマ「月とケーキ2」主題歌 2024年

ラジオ番組

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TV番組

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音楽番組
トーク番組
バラエティ
教養番組
ドラマ

CM出演

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楽曲提供

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歌手名 曲名 収録(初出のみ) 作詞 作曲
ANDY'S FREEDOM[注 14][55] シングル「FREEDOM 1997年 ANDYSHOWJOSEMOTO MOTO
伊藤銀次 そして誰のせいでもない アルバム『Baby Blue』 1982年 佐野元春 佐野元春
恋のソルジャー アルバム『Sugar Boy Blues』 1982年
伊藤つかさ ストロベリーフィールド アルバム『タッチ』 1982年 売野雅勇 Holland Rose
イミテーション 恋の片道キップ シングル「恋の片道キップ」 1981年 佐野元春 今井裕
片岡鶴太郎 Looking For A Fight シングル「Looking For A Fight」 1985年 佐野元春
金子マリ 最後のレイディオ・ショー ―Radio Days アルバム『B-ethics』 2006年
KYON 6210 in my house アルバム『6210 in my house』 1996年 KYON
小坂忠 ふたりの理由、その後 アルバム『Connected』 2009年 佐野元春
西園寺たまき & HIP Oriental Girl アルバム『進駐軍』 1982年 三浦徳子 Holland Rose
猿岩石 昨日までの君を抱きしめて シングル「昨日までの君を抱きしめて 1998年 佐野元春 佐野元春
沢田研二 彼女はデリケート アルバム『G.S.I LOVE YOU 1980年
I'M IN BLUE
THE VANITY FACTORY
BYE BYE HANDY LOVE アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R 1981年
WHY OH WHY アルバム『A WONDERFUL TIME 1982年
すべてはこの夜に アルバム『NON POLICY 1984年
ジョン・サイモン So Goes The Song (Love Planet) アルバム『Home』 1998年 Motoharu Sano & John Simon Motoharu Sano & John Simon
Darjeeling 流浪中 アルバム『8芯二葉〜雪あかりBlend』 2019年 佐野元春 佐野元春・Darjeeling
永井真理子 White Communication -新しい絆- シングル「White Communication -新しい絆-」 1990年 佐野元春
早見優 彼はデリケート アルバム『SHADOWS OF THE KNIGHT 1986年
バブルガム・ブラザーズ SOUL SPIRIT Part II アルバム『SOUL SPIRIT Part II』 1985年
BaBe Silent Dancer アルバム『Fight!』 1988年 Holland Rose 大村雅朗
The Whey-hey-hey Brothers じぶんの詩―A BEAUTIFUL DAY シングル「じぶんの詩―A BEAUTIFUL DAY」 2006年 佐野元春 佐野元春
松田聖子 ハートのイアリング シングル「ハートのイアリング 1984年 松本隆 Holland Rose
今夜はソフィストケート アルバム『Windy Shadow
松原みき スーヴェニール アルバム『―Cupid― 1981年 三浦徳子 佐野元春
山下久美子 So Young アルバム『雨の日は家にいて 1981年 佐野元春
A Silver Girl (ずっと昔から) アルバム『Baby Baby 1982年
矢野顕子 Un Jour アルバム『GRANOLA 1986年 矢野顕子
渡辺満里奈 ダンスが終わる前に アルバム『Ring-a-Bell 1996年 佐野元春
ROMY[注 15] California アルバム『KI.A.I』 1985年 友部正人
補作詞: Holland Rose
Holland Rose

共作・コラボレーション

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参加作品

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著書・関連書籍

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  • ハートランドからの手紙 スイッチ・コーポレイション書籍出版部, 1990.11 /角川書店(文庫版)
  • Diary-studio days making of“Fruits" レコーディング日誌 PARCO出版, 1996.9
  • ビートニクス コヨーテ、荒地を往く 幻冬舎, 2007.9
  • THE SONGWRITERS スイッチパブリッシング 2022.3.21

雑誌編集

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  • THIS: 佐野元春による責任編集マガジン。発行時期や発行元、編集コンセプトの違いにより、3期に分かれる。

関連書籍

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『ココナッツ・バンク』でギターを弾いていた伊藤がアメリカ帰りの佐野と初めて出会ったとき、伊藤は「バディ・ホリーのようなメガネをかけた佐野がマンフレッド・マンについて、情熱的でがむしゃらに語ったために、いすから転げ落ちそうになった」と述べている(『SOMEDAY』より)。
  2. ^ 情けない週末」「グッドバイからはじめよう」「君がいなくちゃ」など。
  3. ^ 数年後に米米CLUBが「FUNK FUJIYAMA」でパロディ化するものの封印は解かれなかった。
  4. ^ Holland Rose』の由来は、佐野がDJを務めていたラジオ番組に小学生リスナーがホール&オーツ「ホーランド・ローズ」と書き間違えたことがきっかけ。
  5. ^ オンライン販売のみでの発売。
  6. ^ オリコンではアルバム扱い。
  7. ^ 「佐野元春MusicUnited.」名義。
  8. ^ 「佐野元春 & 雪村いづみ」名義。
  9. ^ iTunes Store版アルバム『ZOOEY』からの先行配信につき、カタログコードのIDが『ZOOEY』と同じとなっているため、リンク先は『ZOOEY』である。
  10. ^ 当初は、2020年6月10日に発売予定だったが、新型コロナウイルスによる制作の遅れにより発売日が変更された。
  11. ^ 当初は、2013年11月27日発売予定だったが、制作の遅れにより発売日が変更された。
  12. ^ 当初は、2018年3月14日発売予定だったが、制作の都合により発売日が変更された。
  13. ^ 1999年2月15日から2月28日まで期間限定でダウンロード販売された。
  14. ^ プロデュースも兼任。
  15. ^ 石川セリの実妹

出典

[編集]
  1. ^ 佐野元春(サノモトハル)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2021年5月30日閲覧。
  2. ^ a b c d CDジャーナル 編『音楽CD検定公式ガイドブック(下)』音楽出版社、2007年、61頁。ISBN 4-8617-1030-8 
  3. ^ a b c DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、81頁。
  4. ^ J-WAVESAPPORO BEER OTOAJITO」2011年1月15日放送分で本人発言。
  5. ^ 月刊カドカワ 1991年5月 総力特集:佐野元春
  6. ^ 「漫画家になりたかったミュージシャン」と「ミュージシャンになりたかった漫画家」の旅 NHK
  7. ^ 相倉久人『日本ロック学入門』内ロングインタビュー
  8. ^ a b c d e f g h i j k 下村誠『路上のイノセンス』
  9. ^ 月刊カドカワ 1991年5月 矢野顕子からの質問に答えて
  10. ^ moment 佐藤奈々子インタビュー
  11. ^ 田家秀樹 編『80年代音楽ノート』ホーム社、2024年、13頁。ISBN 4-8342-5381-3 
  12. ^ Cut』1994年2月増刊号、『bridge』72ページ
  13. ^ 別冊カドカワ 総力特集佐野元春(2011年)
  14. ^ 『シンプジャーナル・ベストセレクション'80s』自由国民社、2003年、p81-82
  15. ^ 「急上昇! 30センチシングル盤」『読売新聞』1985年1月16日付夕刊、13頁。
  16. ^ a b 佐野元春の100人 SITE DOI 2021年6月13日閲覧
  17. ^ 『Views』93年2月号
  18. ^ 『THIS』95年春季号
  19. ^ ハートランドからの手紙#105
  20. ^ What's Naked Eyes Foundation? MWS(Moto's Web Server) 2021年6月17日閲覧。
  21. ^ ハートランドからの手紙#132 Naked Eyes Foundation 設立に寄せて 2001年5月配信 MWS(Moto's Web Server) 2021年6月17日閲覧。
  22. ^ 「光 -TheLight-」 MWS(Moto's Web Server) 2021年6月17日閲覧。
  23. ^ 元春の伝承歌「君がいなくちゃ」がYouTubeに公開 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 2010
  24. ^ 佐野元春 2015年最新シングル:君がいなくちゃ
  25. ^ a b 『境界線』ライナーノーツ 2015年4月10日 DaisyMusic
  26. ^ a b 【エンタがビタミン♪】桑田佳祐が選ぶ2015年邦楽シングルBEST20、桐谷健太『海の声』に「泣いた」 2015年12月27日 Techinsight
  27. ^ a b 連続Webドラマ「遠まわりしようよ、と少年が言った。」 キヤノン
  28. ^ a b 佐野元春(Official)2016年2月15日
  29. ^ a b 松本人志 佐野元春のライブに「素敵」 デイリースポーツオンライン
  30. ^ “ガキ使”出演の夫婦デュオが反響、発見したココリコ田中に感謝 ライブドアニュース
  31. ^ a b 2017年のBeat-itude -佐野元春、ニューヨークを往く Moto's Web Server
  32. ^ a b motoharusanoの投稿(403179597840069) - Facebook
  33. ^ 佐野元春さんに大臣賞 21年度芸術選奨、濱口竜介監督も”. 日本経済新聞 (2022年3月9日). 2022年3月9日閲覧。
  34. ^ “佐野元春&ザ・コヨーテバンド、5作目のスタジオ・アルバム配信リリース”. Rolling Stone Japan (CCCミュージックラボ株式会社). (2022年3月28日). https://rollingstonejapan.com/articles/detail/37384 2022年3月29日閲覧。 
  35. ^ “佐野元春が新作『今、何処 』を7月にリリース 「これが最後のアルバムと言ってもいい最高の一枚」”. Mikiki (タワーレコード). (2022年5月30日). https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/31833 2022年5月30日閲覧。 
  36. ^ 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 1997
  37. ^ a b 佐野元春の"ロック・イズ・フリーダム"な珍答が見逃せない エキサイトニュース
  38. ^ 短髪に8キロ減の佐野元春、呼吸するように音楽語る 日刊スポーツ 2017年9月11日11時1分 紙面から
  39. ^ Now & Then vol.6-13 日本レコード協会ゴールド・ディスク受賞”. 佐野元春公式サイト. 2021年6月7日閲覧。
  40. ^ a b 佐野元春、時代の最先端を走り続けてきた35年「僕はノスタルジーのために音楽は作らない」
  41. ^ a b c 定塚遼 (2020年10月8日). “魂よ舞い上がれ、詩とビートで 佐野元春、表現の可能性信じ40周年”. 朝日新聞デジタル. 2020年10月9日閲覧。
  42. ^ ミュージシャン 佐野元春インタビュー | 著名人 | LEON.JP LEON.JP
  43. ^ 短髪に8キロ減の佐野元春、呼吸するように音楽語る 日刊スポーツ 2017年9月11日11時1分 紙面から
  44. ^ 佐野元春、FBで共謀罪反対「蒼い鳥が言っている」 日刊スポーツ 2017年9月11日11時1分 紙面から
  45. ^ ハートランドからの手紙#87
  46. ^ わずか30分の共演、忌野清志郎と佐野元春が初めて一緒に歌った放送禁止曲「自由に好きな曲が歌える国に生まれて幸せだと思う」波乱のアースデー・コンサートniftyニュース 2024年4月22日配信 2024年9月26日閲覧。
  47. ^ それを「希望」と名づけよう
  48. ^ 佐野元春(Official)2015年5月7日
  49. ^ ローリングストーン日本版 2016年10月号
  50. ^ 佐野元春(Official)2017年5月17日
  51. ^ 佐野元春がトランプ批判の楽曲を発表! 安倍首相のICANノーベル平和賞無視や沖縄基地問題への対応にもNOを リテラ
  52. ^ 佐野元春 『レインボー・イン・マイ・ソウル(ライブ 1993)』 YouTube
  53. ^ 佐野元春(Official)Facebook 2022年11月23日配信 2023年2月8日閲覧
  54. ^ 佐野元春(Official)Facebook 2023年1月23日配信 2023年2月8日閲覧
  55. ^ a b Now & Then vol.9
  56. ^ 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 2002
  57. ^ 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 2007
  58. ^ 佐野元春 : オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server 最新ニュース 過去のトピックス|Vol.1 2005
  59. ^ Now & Then vol.8
  60. ^ a b マキタ、佐野元春さんと対談! マキタ学級日誌
  61. ^ 佐野元春(Official) 2015年3月12日
  62. ^ SONGS 第551回 佐野元春
  63. ^ 『ロックは語れない』新潮文庫
  64. ^ Now & Then vol.1
  65. ^ 全55曲完全収録! 桑田佳祐〈第二回ひとり紅白歌合戦〉のBD/DVD登場 2014年02月20日 タワーレコードオンライン
  66. ^ 佐野元春(Official)《佐野元春、同級の桑田佳祐について語る》
  67. ^ 再生の歌は鳴りやまない〜佐野元春「君を連れてゆく」〜”. WHAT's IN? tokyo (2016年12月3日). 2021年3月25日閲覧。
  68. ^ Now & Then vol.13
  69. ^ a b 「シンカリオン」に突然の佐野元春、ネット騒然”. ニコニコニュース (2019年2月16日). 2019年2月16日閲覧。

外部リンク

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