若大将シリーズ
若大将シリーズ(わかだいしょうシリーズ)は、東宝が1961年から1971年まで製作した全17作から構成される加山雄三主演の青春映画のシリーズ名である。
社長シリーズ、駅前シリーズ、クレージー映画と共に、1960年代の東宝の屋台骨を支えた。
概要
[編集]1960年の安保闘争後に訪れた高度経済成長期、学生運動などと無縁の体制側の男子大学生、スポーツと歌が得意で正義漢、目上を敬い、友情に厚く、異性から好感を持たれる主人公の映画である[1]。全作品カラー、シネマスコープである(「帰ってきた若大将」のみビスタサイズ)。
沿革
[編集]シリーズ誕生
[編集]このシリーズの生みの親は、プロデューサーの藤本真澄と脚本の田波靖男である。加山雄三は前年デビューし、田中友幸プロデューサーのもとで『独立愚連隊西へ』(1960年)や『暗黒街の弾痕』(1961年)で準主役を張り、着実に大物振りを発揮しだしていたが、大学を出たばかりの加山の演技はお世辞にも演技といえるものではなかった。そこで満を持して藤本は、本格的に加山雄三を売り出すことにし、戦前の松竹蒲田で清水宏監督により映画化された加山と同じ慶應義塾大学出身で慶應ではラグビー部に所属していた藤井貢主演『大学の若旦那シリーズ』を東宝で現代風にアレンジする企画を立てた。(これに先立ち、1958年、東宝は瀬木俊一主演で『若旦那は三代目』という作品を製作した。酒屋の三代目が大学スポーツの花形選手という設定は、若大将のプロトタイプと言って良いだろう。瀬木のシリーズは2作品作られ、主役を高島忠夫に交代させ、社会人シリーズとして継続された)。
藤本は、内々に加山の父である上原謙に起用方法についての意見を求め「演技とか細かいことを言わず、あのキャラクターを生かし好きにやらせたらいいのでは」と助言を得て、素のままで演じられるよう映画の主人公を加山に寄せることとした。加山を呼んで生い立ちなど聞き、お婆ちゃん子であったことや父親が厳しかったこと、ドカ弁で1日5食だという逸話などを取り入れて、加山と等身大の主人公像を作り上げた[2]。メインライターは笠原良三だったが、超売れっ子で映画各社の掛け持ちも多く、東宝文芸部の田波が大枠を書いていた。第1作『大学の若大将』の浄化槽の蓋で焼肉をするのも田波のアイデアだった。
実は、『大学の若大将』の第1稿ではマンホールの蓋で焼肉を焼くというものだったが、藤本から「良識ある大学生がするもんじゃない。人が落ちたらどうするんだ」とクレームがついてしまった。だが、ギャグにこだわった田波は、公道のマンホールがダメなら大学構内の浄化槽の蓋にして、プロデューサーの意見を逆手に取り入れて管理人の片足を落すことにした。1961年7月に公開された『大学の若大将』は、加山自身を演じた等身大のヒーロー像が受けて大ヒットとなった。しかも劇場では、この浄化槽の蓋のギャグが大受けだった。さっそく藤本プロデューサーは二作目の製作を指示したが、「この次もマンホールの蓋で肉を焼くギャグを考えてくれ」と注文を付け田波をあきれさせた。こうして若大将シリーズは始まった。
スケールアップ
[編集]第2作の『銀座の若大将』もヒットし、第3作の『日本一の若大将』で3部作のトリという内容だったが、人気は衰えず、初の海外ロケの第4作『ハワイの若大将』まで作られた。ただ、この作品の後、加山は黒澤明監督の『赤ひげ』出演のため、スケジュールを1年間拘束されることが決まっていた。そのため、スタッフは加山の1年間のブランクによる若大将シリーズの人気低迷という危機感を抱き、シリーズの打ち止めも覚悟していた。だが、反対に観客の飢餓感の方が勝り、国内ロケの『海の若大将』は前作を上回る興業成績を収めた。また、この作品で歌われた弾厚作作曲、岩谷時子作詞、森岡賢一郎編曲の「恋は紅いバラ」「君が好きだから」もレコードがヒットし、ここに至って若大将シリーズは確固たる地位を築いたのだった。続く『エレキの若大将』は加山の音楽的な才能と当時流行していたエレキブームがマッチした出色の音楽映画作品となった。また加山の代表作である「君といつまでも」も挿入歌として歌われたが、このレコードが300万枚を売り上げるトリプルミリオンセラーとなり、加山雄三ブームといえる現象も生みだした。このブームの中、二度目の海外ロケ作品である『アルプスの若大将』は、加山の得意なスキーを前面に推し、シリーズでも『大学の若大将』に次ぐ観客動員と1966年の東宝映画興行収入第1位を果たす大ヒットとなった。翌年の1967年には正月公開の『レッツゴー!若大将』、東宝35周年記念作品『南太平洋の若大将』、『ゴー!ゴー!若大将』と3本が公開されることになった。押しも押されもせぬ東宝のドル箱シリーズの面目躍如というところだった。
社会人編
[編集]加山の実年齢が30歳を越えると、さすがに大学生には無理があるようになった。そのため、『リオの若大将』で若大将を卒業させて、シリーズを終わらせることにした。しかし、これだけのヒット作を終わらせるのはもったいないということで、東宝が得意とするサラリーマン喜劇へとシフトさせることになった。この際に成熟した大人の女性としての色気がどうしても出てしまうようになった星由里子から、若手成長株だった酒井和歌子をマドンナ役に抜擢し、澄子とは違った、からりとした性格の節子がヒロインとなった。この抜擢に当初酒井は、加山との年齢差や星とのあまりの違いもあり躊躇したようであるが、初々しく清新なマドンナ像となった。1969年の正月映画となった『フレッシュマン若大将』は、高度経済成長期の1960年代の花形産業であった自動車メーカー・日東自動車のサラリーマンとなった若大将・加山と、大学を中退して縁故で副社長になった田中邦衛の青大将の絶妙なコンビぶりもあって、前作『リオの若大将』を上回る観客動員、興行収入となるヒット作になった。続けて同年7月に公開した『フレッシュマン若大将』の続編的な『ニュージーランドの若大将』は、同じく日東自動車のサラリーマンで、半年後の公開作であったが、加山の実年齢に近づけるため、2年間の海外赴任をしていたという設定であった。両作ともアクション映画を得意とした福田純のテンポある演出の軽快な作品となり、若大将シリーズ社会人編は無難な船出をすることができた。『リオの若大将』から『ニュージーランドの若大将』まで藤本を補佐する形でプロデューサーとなった大森幹彦によれば、企画としては『ニュージーランドの若大将』が先にあったが、急遽、北海道ロケ篇を作ることになったため2作が繋がったかたちになったという[3]。
シリーズの終了と復活
[編集]1970年代に入って最初の『ブラボー!若大将』はこれまでとは趣きが違った作品となっていた。それは社会人篇で消えていたスポーツ競技が復活することになるが、大学篇時代とは違ってスポーツ万能の若大将ではなくなっていたのである。実業団テニスの決勝では辛勝する上、恋人にふられたあげく、会社の上司と衝突して会社を辞めてしまう。失意の中でグアムへと旅立ってしまうのだった。高度経済成長の翳りが作品に反映したのか、空元気の明るさで、最後のどんでん返しの復権も痛快さが感じられなかった。そして次作の『俺の空だぜ!若大将』では、青大将が専務を務める東海建設の平社員で、命令を受ける立場という不自由さが若大将を覆っていた。東宝サイドも加山若大将に見切りをつけ、ヒットシリーズを続けるために次世代へバトンタッチさせようと、大矢茂を二代目に指名した。そして1971年の『若大将対青大将』で、田沼雄一の実家である田能久の人々は登場せず、大矢若大将へとバトンタッチするのだったが、東宝のドル箱であったシリーズの一作としては惨憺たる結果となった。配給収入は7970万円強と1億円を割り込み、観客動員数も45万人と『アルプスの若大将』の(単独での動員数の)5分の1以下[4]、『ブラボー!若大将』の半分にも満たない成績では、一旦打ち止めとするしかなかったのである。
その後、1975年頃に突如としてオールナイト興行が若い世代に人気となったのをきっかけに、若大将シリーズは一時低迷していた加山と共に再びブームとなり、草刈正雄主演による新作も2本作られたが、シリーズ化までには至らなかった。そんな折の1981年、加山雄三芸能生活20周年記念作品として『帰ってきた若大将』が制作された。おばあちゃん役の飯田蝶子はすでに亡くなっていたが、賀原夏子が加わり、草刈若大将でのマドンナ役だった坂口良子が今度は加山若大将のマドンナとなった。全篇が若大将シリーズのオマージュに溢れたこの作品は、配収10億円の大ヒットとなって、有終の美を飾った。
シリーズ共通の設定
[編集]各作品の主要登場人物などの基本的な設定は共通しているが、シリーズとしては例えば松竹の『男はつらいよ』シリーズなどとは異なり、ストーリーのつながりはない。このため、このシリーズは一種のパラレルワールドを描いているともいえる。
登場人物
[編集]レギュラー
[編集]- 田沼雄一(加山雄三)
- 初代若大将こと田沼雄一は明治時代から続く老舗のすき焼き屋「田能久」(たのきゅう)の息子で、大学の運動部(競技は作品によって異なる)のエースである。この役名は「田能久」の屋号をヒントに田沼姓が浮かび、これに加山雄三の「雄」をとって命名された。
- 大食漢で頼まれたらイヤとはいえない気のいい性格である。母親は早世し父・久太郎、妹・照子、祖母・りきと暮らしている。
- 好物は肉まんである。
- 劇中、水泳、ボクシング、マラソン、スキー、柔道、駅伝など当時の人気スポーツのほか、ヨット、サッカー、アメリカンフットボール、フェンシングなど当時マイナーだったスポーツにも挑戦している。
- 当時大人気だった野球が演じられていないのは加山自身が野球音痴だったからだとも、当時ライバル企業の東映・大映が球団を持っていた(フライヤーズとオリオンズ。のちの日本ハムとロッテ)[注 1]ことで藤本真澄プロデューサーが野球をテーマにすることに消極的だったからだとも言われている。
- 石山新次郎(田中邦衛)
- 青大将こと石山新次郎は若大将の同級生であり、シリーズ全般におけるコミックリリーフ的ポジションのキャラクター。大企業の社長の息子でいつも若大将に対抗意識を抱いている。各スポーツ等の技量や人望は全く比較にならないため、対抗意識はあくまで一方的なもので、若大将の方は憎めない友人として接している。この役名は石原慎太郎・石原裕次郎兄弟をもじったものである。
- 当時、黒澤明監督がプロデューサーの藤本に次回作の企画を持ち込んでいたが、この映画の仮題が「青大将」で、藤本はそれを退け、若大将の敵役のニックネームに「青大将」を使った[5]。藤本は大のヘビ嫌いだった。黒澤はその企画のタイトルを『椿三十郎』と改め脚本を完成させた。加山、田中、江原達怡、団令子ら『大学の若大将』の面々が、揃って『椿三十郎』に出演している[5]。
- 無線でのカンニングに失敗して留年(リオの若大将)。その後京南大学を退学したはずだが(フレッシュマン若大将)、「若大将対青大将」では再々試験により、若大将や江口より半年遅れで京南大学を卒業している。
- 毎回澄子の頼みでパトロールカーや白バイに追いかけられながら若大将の試合に駆けつける、交通違反(速度超過、指定方向外進行禁止違反、一時停止不履行、一方通行逆走、その他諸々)の常習犯。
- 意外(?)とスポーツ万能で、大学生編後期の作品ではヨット部員、アメリカンフットボール部員、サッカー部員として若大将をサポートする。ただし、アマチュアレスリング部員として若大将が所属する柔道部と新人勧誘で対立したことがあった。
- 『帰ってきた若大将』では松崎真のバイオリン演奏で「君といつまでも」をソロで歌う(かつて澄子に振られた際酔っ払って『海の若大将』では八木節(♪またも出ました三角野郎が…)。を『南太平洋の若大将』では船頭小唄(♪俺は河原の枯れすすき…)を歌ったことがある)
- 田沼久太郎(有島一郎)
- 雄一の父親。「田能久」の当主で男やもめである。大正生まれの保守的な性格で、いつも雄一と対立しており、毎度のように雄一を勘当している。商業学校しか出ていないことにコンプレックスを抱いており、ことあるごとに、りきから「これだから商業学校は」とボヤかれる。また、「これだから大正生まれは」とボヤかれることもある。
- 社会人編になると、ことあるたびに、未亡人に一目惚れをしてりき・照子・江口と衝突するが(そのことが原因で、りきから勘当されたこともあった)雄一は常に優しく久太郎に接する。
- ほとんどの作品ではりきの実の息子と言う設定。ただし『日本一の若大将』では、田能久の奉公人で風邪をひいたりきの娘を優しく介抱したのがきっかけで、婿養子に迎えられたと照子が江口に話すシーンがある。
- 「ゴー!ゴー!若大将」「リオの若大将」で久太郎の父親(雄一の祖父)の写真が登場する(いずれも有島がカツラ&ヒゲをつけた扮装)。
- 久太郎・りき・江口・照子は「若大将対青大将」には登場しない。
- 田沼りき(飯田蝶子)
- 江口敏(江原達怡、『大学の若大将』のみ役名が多湖誠、『ハワイの若大将』のみ配役が二瓶正也)
- 雄一の所属する運動部のマネージャー。ただし、他の運動部に所属して雄一をスカウトすることもあり、『銀座の若大将』では拳闘部、『ゴー!ゴー!若大将』では自動車部への助っ人になるよう要請する。
- シリーズを経るごとに照子との仲が接近し、『日本一の若大将』のラストでは照子と婚約。『フレッシュマン若大将』の冒頭では結婚を果たす。
- 有能なマネージャーのようであるが、浄化槽の蓋で焼肉をしたり(大学の若大将)、レストランの残飯で食事を作ったり(銀座の若大将)、肉の缶詰と間違えてドッグフードを買ってきたり(海の若大将)とドジな面もある。
- 珠算はできるのにギターは弾けない(エレキの若大将)。また江原本人同様泳げない(大学の若大将)。
- 江原本人が泳げないため、海に投げられるシーンやヨットから海に飛び込むシーンがある「ハワイの若大将」は、江原に代わって二瓶正也がキャスティングされた。
- 田沼(江口) 照子(中真千子)
- 太田茂夫(大矢茂)
マドンナ
[編集]- 澄子(星由里子)
- シリーズ前半の学生篇でのマドンナ、澄子はスーパーマーケットや宝飾店、化粧品店の店員、スチュワーデスなど作品ごとに職業は異なるが社会人である。嫉妬心が強い。演じた星由里子自身、澄子の性格は嫌いだったようである。演じた星由里子は澄子のファッションについてオードリー・ヘプバーンの影響を受けたと語っている。
- 節子(酒井和歌子)
- 皆川純子(坂口良子)
シリーズに多数出演した俳優・女優
[編集]- 左卜全
- シリーズ中、8本に出演。
- 「大学」、「銀座」では大学教授役を。「日本一」ではりきと旧知の知り合いの住職役を。「ハワイ」「南太平洋」「リオ」では外国に在住の在留邦人役を。「フレッシュマン」「俺の空」では、金持ちのご隠居役を演じる。
- 上原謙
- シリーズ中、5本に出演。
- ほとんどの作品では、若大将に惚れるお嬢様の父親役。
- 「日本一」のみ青大将の父親(石山社長)役。
- 堺左千夫
- 藤木悠
- シリーズ中、5本に出演。
- 「日本一」では照子の見合い相手、「ハワイ」では田能久の板前(馬肉を出した後に鹿肉を出し、客を憤慨させる)、「リオ」ではフェンシング部の監督、「フレッシュマン」では節子の兄役を演じる。
- 団令子
- 「大学」「銀座」の2本に出演。
- 劇中、若大将・青大将に「アンパンのデベソ」と団個人のあだ名を呼ばれる。
- 藤山陽子
- シリーズ中、4本に出演。「大学」が映画デビュー作品。
- ほとんどの作品では、若大将に恋するお嬢様役だが「海」のみ若大将の同級生役を演じた。
物語
[編集]- シリーズのパターンは一貫している。
- 若大将が澄子(あるいは節子、純子) と何かのきっかけで出会い、恋に落ちる。
- 青大将が澄子に惚れて邪魔をしたり、若大将が女の子にもてているのを澄子が嫉妬したりして2人の仲にひびが入る。
- しかし最終的には仲直りして、スポーツの方も若大将の活躍で大学が大会で優勝してハッピーエンドとなる(社会人編の場合は交渉などが成功する)。
「田能久」はほとんどの作品で麻布にある設定だが、古澤憲吾監督の作品のみ浅草にある。
田能久のモデルは浅草にある『今半本店』(仲見世通りの側道にあるアプローチがロケに使われたこともある)と、青山にあったころの『よしはし』である(当時の店内がセットに酷似している)。
大学生編
[編集]若大将と青大将の大学はごく稀な例外を除いて「京南大学」。ロケは主に東京農業大学、明治薬科大学、日本体育大学(世田谷深沢プール)、日本大学文理学部などで行われた。
多くの作品で若大将は勘当されている。勘当は『ハワイの若大将』中で「年中行事」と言われるほど多く行われているが、誤解が解けるなどにより必ず勘当は解かれる。また、勘当と並び停学処分を受けることも多い。
青大将は試験があるとすぐにカンニングを行う。特に『ハワイの若大将』ではカンニングにより京南大学を停学になるばかりか、ハワイ大学の編入試験でもカンニングを行い不合格となっている。カンニングにかけるコストも高く、『海の若大将』、『リオの若大将』では無線を用いてカンニングしている(前者は試験監督に見つかり、後者は協力者の江口が解答の読み上げ途中に関係ない会話を始めてしまい失敗)。
社会人編
[編集]『フレッシュマン若大将』と『ニュージーランドの若大将』では日東自動車のサラリーマンである。これは日産自動車の本社ビル(東銀座当時)や工場が撮影に使用されたこともあり類推される社名となった。『ゴーゴー!若大将』でも日産自動車は協力している。この2作は、同じ1969年の公開であるが、加山の実年齢に近づけるために2年間の海外赴任という設定にされた。
『ブラボー若大将』では転職を繰り返し最後には社長になる流れだが、『俺の空だぜ若大将』では青大将の会社に勤めているサラリーマンに再び戻っている。『若大将対青大将』でもサラリーマンであった。
シリーズ一覧
[編集]大学生シリーズ
[編集]- 大学の若大将(1961年・東宝/杉江敏男監督)
- 銀座の若大将(1962年・東宝/杉江敏男監督)
- 日本一の若大将(1962年・東宝/福田純監督)
- ハワイの若大将(1963年・東宝/福田純監督)
- 海の若大将(1965年・宝塚映画/古澤憲吾監督)
- エレキの若大将(1965年・東宝/岩内克己監督)
- 若大将は京南大学の学生
- アメリカンラグビー(アメリカンラグビー部に所属)、乗馬
- 久太郎が融資を依頼している銀行の頭取の息子(ジェリー藤尾)と喧嘩騒動を起こして勘当、さらに田能久が倒産。
- 「エレキの神様」寺内タケシがそば店員役で(若大将のバンドで共演)、のちの加山夫人松本めぐみが別のバンドで、内田裕也がエレキ合戦の司会者で出演。
- バンドに加入できた嬉しさのあまり、隆が出前の天丼(カツ丼?)をメンバーに分けてしまう。
- 日光で雄一と澄子が「君といつまでも」をデュエットするシーンで雄一は、仏帳面でセリフも早口でしゃべってしまうが、後日加山は「設定(雄一が澄子のためを思って作った曲を雄一と澄子がデュエットする)が、おかしいためわざと演じた。」と語っていた。
- 日光ロケ
- この作で、300万枚を超すミリオン・セラーとなった「君といつまでも」が登場する。
- 興行収入2億1150万円。配給収入1億円。
- アルプスの若大将(1966年・東宝/古澤憲吾監督)
- 日劇「加山雄三ショー」より歌う若大将(1966年)
- 日劇で開催された「加山雄三ショー」&「大学の若大将」から「ハワイの若大将」までの名場面集&タヒチで遊ぶ加山のプライベートショットで構成される。
- 「お嫁においで」が、若大将シリーズで歌われるのはこの作品だけである。
- レッツゴー!若大将(1967年・東宝/岩内克己監督)
- 南太平洋の若大将(1967年・東宝/古澤憲吾監督)
- ゴー!ゴー!若大将(1967年・東宝&宝塚映画/岩内克己監督)
- 若大将は京南大学の学生
- モータースポーツ(ラリー)、駅伝競走(陸上部に所属)
- 鈴鹿サーキット、京都、琵琶湖ロケ(ラリーでは京都から名古屋→日本ライン→飛騨→琵琶湖→京都のコースを走る)
- 若大将が挿入歌「幻のアマリリア」を歌うシーンが2シーンあるが、1回目と2回目の歌詞が異なっていた(レコード化されたのは2回目の方)。
- 公園で若大将が「幻のアマリリア」を歌う最初のシーンで、若大将と澄子のまわりにいたカップルがいきなり若大将の歌とトランペットに合わせて踊りだす。
- 劇中青大将が澄子にダットサンのいわれを説明するシーンがあるがNHK-BSで放送された際、その場面はカットされて放送された。
- 鈴鹿で出逢った京都の舞妓が田能久へ来るが、若大将が紹介するはずだった澄子と間違えて久太郎が応対する。
- 若大将が合宿所の枕から詰め物の小豆を抜いて汁粉を作る(小豆に染み込んだ体臭と枕を壊したことで発覚)。
- 舞妓役で浜木綿子が出演。
- 若大将と喧嘩をするダンプカーの運転手役で吉本新喜劇の桑原和男、原哲男が出演。
- ザ・ランチャーズが若大将のバックバンド役で初出演、2代目若大将:大矢茂が初登場。
- 興行収入4億7200万円。配給収入2億2047万円を記録した。
- リオの若大将(1968年・東宝/岩内克己監督)
社会人シリーズ
[編集]- フレッシュマン若大将(1969年・東宝/福田純監督)
- ニュージーランドの若大将(1969年・東宝/福田純監督)
- ブラボー!若大将(1970年・東宝/岩内克己監督)
- 俺の空だぜ!若大将(1970年・東京映画/小谷承靖監督)
- 東海建設の社員
- スカイダイビング
- 京南大学スカイダイビング部員にもかかわらず、勇気がなく一度も飛び降りたことのない太田(2代目若大将)がマムシ(蛇)に噛まれた青大将(石山新次郎)を助けるため、初めて血清を持ってスカイダイビングに挑戦する。
- 有島一郎はじめ伴淳三郎、左卜全、上田吉二郎、北竜二ら昭和の名脇役たちが多数登場した(特に最後の若大将シリーズ出演となった左卜全は、銭湯でオールヌードを披露し、『老人と子供のポルカ』を口ずさむ)。
- 社会人編になって初めて久太郎が、若大将を勘当する。
- 久太郎が、太田の母親(久慈あさみ)に一目惚れするが、2人で息子たちに内緒で手を出した小豆の先物取引に失敗して2000万円の損害を与えてしまう。
- 2代目若大将太田茂夫の実家(ドライブイン)・母親(久慈あさみ)が初登場する。
- 興行収入1億6900万円。配給収入8000万円。
- 若大将対青大将(1971年・東宝/岩内克己監督)
- オートバイ
- クレジット順は大矢がトップで、加山はトメ(クレジットのラストで表示される)扱いになった。
- 本作をもって『若大将』のニックネームが田沼雄一から太田茂夫へバトンタッチされた。
- 同時に『青大将』も田中邦衛から高松しげおへバトンタッチされた。
- さらにヒロインも、酒井和歌子から吉沢京子へバトンタッチされた。
- しかし、大矢・吉沢・高松の出るのはこれのみ。高松に至っては、役名が「学生」で、「石山新次郎」のような役名が無かった。
- 更に新次郎は「青大将」のニックネームを譲ったのに、節子の気を引こうと雄一をアメリカの支社に栄転させたり、茂夫に妨害されたのを逆恨みして、茂夫のGF・森山圭子に節子を「茂夫の愛人」と言いふらしたり、雄一と共にやって来たアメリカのバイヤー・キャシーを「雄一の愛人」と節子に言いふらすなど、相も変わらずの意地悪し放題。
- 久太郎、りき、照子、江口の田能久ファミリーは登場しない。
- 逆に石山家の食卓が初登場。父親の剛造(松村達雄)・ばあやのきよ(千石規子)が食事のシーンで登場する。
- 帰ってきた若大将(1981年・東宝/小谷承靖監督)
- 加山雄三芸能生活20周年記念作品
- 若大将(本作では再び田沼雄一) はサザンクロス諸島自治政府顧問
- マラソン(ニューヨーク・シティー・マラソン)
- 「アルプスの若大将」の、若大将が君といつまでもを歌うシーンが純子の学生時代の思い出のシーンとして登場した。
番外
[編集]上述のほか、次のような番外作品が製作されている。これらの作品をシリーズに含める場合もあるが、通常は除かれている。
- お嫁においで(1966年・東宝/本多猪四郎監督)
- クレージー黄金作戦(1967年・東宝/坪島孝監督)
- がんばれ!若大将(1975年)……草刈正雄が主演
- 激突!若大将(1976年)
- 「社長になった若大将」(1992年、TBS系)
- テレビシリーズとして制作された。
- 「若大将のゆうゆう散歩」
DVD
[編集]若大将シリーズは加山雄三の生誕60周年を前に、芸能生活35周年、結婚25周年にあたる1995年 - 1996年に東宝からレーザーディスク(LD)化されていたが、DVDはその10年後:芸能生活45周年を迎えた2005年 - 2006年に4回に分けて東宝からリリースされた(ただし「歌う若大将」のみ単品で購入不可)。副音声のオーディオコメンタリーはLDでも収録されていたが、DVD化にあたっては当時の出演者や製作スタッフ(太字)、加山雄三ファンの著名人などで新規に収録、ホスト役を脚本家・田能久(でん よしひさ)が担当した。ジャケットは出荷時はLDと同様のオリジナルデザインだが、裏面はポスターが印刷されている。また各作品毎に撮り下ろしの「若大将スペシャル」が収録されており、作品や加山雄三に関連した内容が取り上げられている。
なお下記のタイトルはDVDボックスのもので、単品売りの場合は「東宝セレクション」シリーズとなる(「歌う若大将」と「社長になった若大将」を除く)。
若大将サーフ&スノー
[編集]若大将シリーズの代表的な作品を中心とした構成。2005年6月発売。
- ハワイの若大将(オーディオコメンタリー:星由里子・小堺一機)
- エレキの若大将(オーディオコメンタリー:中真千子・馬場康夫)
- アルプスの若大将(オーディオコメンタリー:若林映子・ラサール石井・小倉久寛)
- ボックス特典:歌う若大将
- 初回版特典:若大将・青大将・澄子の指人形セット
若大将キャンパス
[編集]学生編初期の4作品で構成。2005年10月発売。
- 大学の若大将(オーディオコメンタリー:藤山陽子・桜井浩子)
- 銀座の若大将(オーディオコメンタリー:北あけみ)
- 日本一の若大将(オーディオコメンタリー:二瓶正也・田村奈巳)
- 海の若大将(オーディオコメンタリー:沢井桂子・北原照久)
- ボックス特典:「大学の若大将」 - 「南太平洋の若大将」から抜粋されたオリジナルミュージッククリップDVD「若大将トラックス」。
※ファンハウス(現BMG JAPAN)からも同名のサウンドトラックCDが2種類発売されていた。
若大将フレッシュマン
[編集]社会人編で構成。2006年3月発売。
- フレッシュマン若大将(オーディオコメンタリー:酒井和歌子・関根勤)
- ニュージーランドの若大将(オーディオコメンタリー:藤岡琢也・岡田可愛)
- ブラボー!若大将(オーディオコメンタリー:岩内克己・柏木由紀子)
- 俺の空だぜ!若大将(オーディオコメンタリー:小谷承靖・ひし美ゆり子)
- 若大将対青大将(オーディオコメンタリー:吉沢京子・湯原昌幸)
- 帰ってきた若大将(オーディオコメンタリー:小谷承靖・坂口良子)
- 初回版特典:オリジナルデザインのギターピック
若大将アラウンド・ザ・ワールド
[編集]最後に残った学生編の4枚で構成。2006年6月発売。
- レッツゴー!若大将(オーディオコメンタリー:ザ・ワイルドワンズ)
- 南太平洋の若大将(オーディオコメンタリー:岩谷時子・森岡賢一郎・小谷承靖・※田波京子)※脚本家・田波靖男夫人
- ゴー!ゴー!若大将(オーディオコメンタリー:加山雄三・星由里子・江原達怡)
- リオの若大将(オーディオコメンタリー:ザ・ランチャーズより喜多嶋修・渡邉有三)
- ボックス特典:「ゴー!ゴー!若大将」 - 「帰ってきた若大将」から抜粋されたオリジナルミュージッククリップDVD「若大将トラックス2」
テレビでの連続放送
[編集]その他
[編集]- 『若大将』の英訳として『Young Guy』が充てられていたが、『日本一の若大将』の海外向けパンフレットでは題名の英訳が『College Champ』[7]、『帰ってきた若大将』ではタイトルの英訳が『Return of the Champ』となっている。
- 1991年に「若大将」シリーズのローソンのCMとして高嶋政伸が起用された。これによって高嶋政伸を4代目若大将とする場合もある。東宝内では1991年頃に高嶋を主演に若大将シリーズを復活させる企画があり、三村渉らにより脚本の準備稿も書かれていたという[8]。
- 映画の後日談という設定で1992年に加山を主役に据えたテレビドラマ『社長になった若大将』が製作され、TBSテレビで全16話が放映された。
関連商品
[編集]企画ビデオ
[編集]- 「永遠の若大将」(東宝ビデオ、VHSビデオ59分)
- 映画「若大将シリーズ」の名曲場面集
- 企画/東宝音楽出版、渡辺音楽出版
- 企画協力/ダン・ミュージック
- 制作協力/加山プロモーション、TAC
サウンドトラック
[編集]ドリーミュージックから発売
- 若大将トラックス
- 若大将トラックス2
トミカ
[編集]映画に登場した自動車を商品化。トミーテックからトミカリミテッドヴィンテージの東宝名車座として2006年発売。
パチンコ
[編集]CR加山雄三〜海とエレキと若大将〜(2008年、三洋物産)
- CMには「エレキの若大将」、「ハワイの若大将」、「アルプスの若大将」、「レッツゴー!若大将」、「歌う若大将」のシーンが使用された。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、106頁。ISBN 9784309225043。
- ^ “[時代の証言者]若大将の航跡 加山雄三<11>キャラを反映「若大将」”. 読売新聞 (2024年10月25日). 2024年10月27日閲覧。
- ^ 「プロデューサー対談 大森幹彦×安武龍」『若大将グラフィティ』角川書店、1995年12月。ISBN 4-04-852604-9。
- ^ 田波靖男『映画が夢を語れたとき みんなが「若大将」だった。「クレージー」だった。』広美出版事業部、1997年7月、189頁。ISBN 4-87747-007-7。
- ^ a b 加山雄三『若大将の履歴書』日本経済新聞出版社、2010年4月、81頁。ISBN 978-4-532-16738-7。
- ^ “テレ東、漫画「ゾンビ取りガール」パクリ疑惑に反論”. スポーツ報知 (2014年9月2日). 2014年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月13日閲覧。
- ^ 福田純、染谷勝樹『東宝映画100発100中!映画監督福田純』ワイズ出版、2001年1月、61頁。ISBN 4-89830-063-4。
- ^ 白石雅彦編著、富山省吾 スーパーバイザー「急之壱 『ゴジラVSメカゴジラ』」『平成ゴジラ大全 1984-1995』双葉社〈双葉社の大全シリーズ〉、2003年1月20日、210頁。ISBN 4-575-29505-1。
参考文献
[編集]- 加瀬邦彦 監修、若大将サポーターズクラブ 著『加山雄三』TOKYO FM出版〈地球音楽ライブラリー〉、1997年7月。ISBN 4-88745-002-8。
関連項目
[編集]- パンアメリカン航空
- 海外ロケを行った作品にはスポンサーとして営業所や航空機が実名でたびたび登場、アルプスの若大将では同社で極東地区広報担当支配人を務めたデビッド・ジョーンズも出演していた。パンナム経営悪化後の海外ロケ作品帰ってきた若大将では日本航空がかわりに登場している。
- 日産自動車
- ローヤルクラウン・コーラ
- 「日本一の若大将」の協賛スポンサー。水上スキー大会の副賞やパーティーのシーンに登場する。ミス・クラウン・コーラの鈴木加代子が端役で出演。のちに加山がCMキャラクターになる。
- IHI(旧「石川島播磨重工業」)
- 「リオの若大将」で、若大将がリオデジャネイロの造船所(Ishibras S.A.)を視察する。また、ラストで若大将はリオのIHIの造船所に就職する。
- 黒烏龍茶(サントリー)
外部リンク
[編集]- 加山雄三ミュージアム - ウェイバックマシン(2022年7月19日アーカイブ分)
- 館内展示として、加山の出演した若大将シリーズのポスターや『エレキの若大将』の衣装、田能久の入口の再現などがあった。2022年6月閉館。
- 東宝アミューズメントパーク DVDカタログ・若大将シリーズ一覧